市民会館の夫婦ポプラ

 市民会館には入口が二つある。公園通りの坂道を上がってきて、外階段を上がった先にあるのが海側入口。まさに海に向いている。

 かたや、市民会館の正面にあたる、裁判所側の入口を山側入口という。この二つの入口は、中でつながっている。さらに海側入口と山側入口の間も、ガラス戸になっているので、ずっと並んだ一つの入口の様な佇まいを見せている。

 さて、この海側入口の外階段下に、二つ仲良く並んだポプラがある。知る人ぞ知る「与五郎のポプラ」である。そう、この市民会館竣工時、昭和38年(1963年)当時の小樽市長、故安達与五郎氏の名前を冠し呼ばれている。

 この夫婦ポプラは、この地に公会堂が「御旅館」として建った明治44年(1911年)から植栽されている、由緒あるポプラなのだ。

 その公会堂を曳家し、現在地の紅葉橋上の法面に移設し、代わりにこの地に新設の市民会館を建設することとなった。その時の当初設計図では、ポプラを伐採しなければならなかったのであるが、当時の安達市長鶴の一声で、設計変更させたと言い伝えられているポプラなのである。

 ちょうど海側玄関の脚部のところに、件のポプラがあり、いかにも設計変更して、階段の位置を変えたのかなと思われる佇まいを呈している。

 そういえば、昭和40年代前半からHBC日曜日午後に放送されていた、視聴者参加型の「家族そろって歌合戦」の公開録画が行われた時、なんと今のミルク・プラント下まで行列ができたと、当時の市民会館管理者から聞いたことがある。

 どんな有名アーティストが、市民会館に来ようがこれが最長の行列だったそうだ。まさに、このポフラを見ながらの行列だったわけである。

 最近は市民会館での大きなコンサートや催しも減ってきているのだが、この夫婦ポプラは、公園通りから市民会館や公会堂、さらに小樽公園、桜ヶ丘球場を目指して上がってくる市民の姿を、一世紀以上の長きにわたり優しく見守り続けている。

(斎藤仁)