廣部邸

 廣部邸は、オタモイ口塩谷側の角に建っているご覧の通りの豪邸である。小樽の○○邸というと、板谷邸、寿原邸、青山邸のように歴史的建造物が名高いが、この廣部邸は、まだまだ新しい邸宅である。まあ、あと半世紀も経てば歴史的建造物になるかもしれないが・・・。

 このオタモイや長橋の色内川沿いは多くの養鯉業者が明治後期から大正時代、昭和20年代頃まで営業し、小樽の寿司店、料亭、割烹に上質の鯉を卸していたという。

 さて、オタモイの廣部家は、この界隈で大正から昭和にかけて多くのため池を擁し、養鯉業を営んでいた名門である。昭和39年(1964年)を最後に養鯉業から撤退し、現在は小樽グリーンテニスクラブとオタモイバッティングセンターを池の跡地を埋め立てて営業している。

 現在の当主三代目廣部隆夫さんは、私の潮陵高校、小樽青年会議所、小樽南ロータリークラブの大先輩で、大変仲良くさせていただいている。

 廣部さんは、小樽の今昔物語好きの私に色々な事を教えてくれる。例えば、廣部養鯉園の池の数は大小30近くあったとか、その大小さまざまな池にはそれぞれ役割があったとか・・・。

 さらに、景勝地オタモイ海岸の一部も廣部家の土地なのだが、固定資産税は掛かってないということとか・・・。その理由を聞くと、手書きの海岸古地図に土地所有地が書かれているのだが、実際のところ現在のどの場所かが特定できないからだそうだ。まあ、いろいろ摩訶不思議な事があるものだと関心させられる。

 隆夫さんのお祖父さんは、廣部家創業者廣部幸太郎さんで、この方が稀代の商人で養鯉業の他にもいろいろ事業を起こしている。オタモイ唐門はじめ、多くの社会貢献事業にも着手している。

 廣部さんに聞いても、「家のじいさんが凄かったから」というのが最後のフレーズに必ずついて回る。

 かの、蛇の目寿司加藤秋太郎氏が、戦前に建設した幻のオタモイ遊園地と龍宮閣は、この廣部幸太郎氏がスポンサードした影のフィクサーだとも言われている。これは、小樽博物館石川館長の言質であるが・・・。

(斎藤仁)