小樽駅の石原裕次郎

 石原裕次郎と言えば押しも押されぬ往年の大スターである。俳優・歌手そして実業家と多くの分野で才能を発揮した彼は、今で言うところの「マルチタレント」のはしりと言えよう。
 彼が日本の芸能界に与えた影響は大きく、例えばタレントとして結婚を記者会見で発表したのは彼だと言われているし、最近ではすっかり風物詩となった芸能人の正月のハワイ旅行も、彼が自身の事務所の所属タレントやスタッフ、その他親しい友人を連れて正月をハワイで過ごしていたのが始まりとされている。

 そんなビッグネームが幼少時代に小樽で育ったということを、特に若い人はあまり知らないのではないかと思う。かく言う私もこの「おたるくらし」の授業課題に使えると喜び勇んで写真を撮った後、そもそも何故小樽駅のホームに彼の記念碑が置かれているのか気になって調べた次第である。
 それはさておき裕次郎が小樽にいた理由に話を戻すと、父親が現在の商船三井の前身の一つである山下汽船の小樽支店に配属されたため、裕次郎は3歳から9歳までの6年間を小樽で過ごしていた。
 当時通っていたのは今の稲穂小学校で、天狗山でスキーをしたこともあるという。いわば小樽は石原裕次郎の「第二の故郷」ともいえる土地なのである。

 そんな繋がりから、小樽駅の4番ホームには2000年から石原裕次郎の等身大パネルが設置されており、さらにその三年後には小樽駅開業100周年を記念して、同プラットホームの名前は正式に「裕次郎ホーム」へ変更された。
 この4番ホームは、1978年にテレビ番組の収録で裕次郎本人が降り立ったことで、ファンの間では有名な場所で、パネルの写真自体もその時のものである。裕次郎が生まれたのが1934年であるから、44歳頃の写真となる。
 今の芸能人は中年になってもスレンダーな体形を維持していることが多いが、写真の中の裕次郎は恰幅の良い、俗っぽく言えば若干メタボな体つきをしている。しかしそれがだらしなさではなく、むしろ大物らしい貫禄を醸し出しているのが、平成の人にはない魅力であるように感じられる。

 石原裕次郎は1987年の4月、恒例のハワイ旅行からの帰国直後に肝細胞癌を発症、52歳の若さで帰らぬ人となった。今年大学4年になる私がその8年後の1995年生まれであるから、今の大学生は社会人学生でもない限り「生」の裕次郎を見たことがないことになる。
 しかし4番ホームの奥に佇む在りし日の大スターのオーラは色あせることはなく、むしろ現代社会が忘れてしまった自由な気風を今に伝えている。

(生ハム)


※本記事の内容は2018年1月時点の情報に基づいたものです。