献血

 小樽での献血は、図書館の下隣日赤小樽会館前に、毎週火曜日北海道赤十字血液センターの移動献血バスが来て行われている。主に、午前中がこの場所で、午後からはその時々でいろいろな場所で行われている。
 以前、職員に聞いたことがあり、3か月単位くらいで、市内各地を行脚するそうだ。献血可能時期に合わせているとの事。開発局、ウィングベイ、都通り、学校、北海製罐等々だ。

 さて、手前味噌であるが、私はなんと献血回数296回を誇るツワモノである。1回が200ccなので60L近い血液を供給している計算だ。

 私の献血事始めは、父方の叔母が乳がんの手術を小樽病院で受けた今から40年前に遡る。

 当時は、まだ預血制度というのがあり、献血手帳を病院に提出すると無料で輸血等を受けられた。そのため、亡父に頼まれ、この地のこの献血車で献血を始めたという事なのだ。

 当時は、今のようにビニールパックではなく、ガラス瓶だったように記憶している。更に400cc採血するのに、2度針を刺されたようにも記憶しているのだが・・・。

 ほどなく、預血制度は廃止になり、手術や治療に使う血液はすべて無料になっていると聞いている。

 さらに37年前、昨年亡くなった母親が、尿毒症からの下血が止まらず、大量の輸血が必要になった事があった。母親の血液型だったAB型が、当時札幌南9条にあった北海道血液センターにも在庫が少なくなり、ご家族の人脈で八方手を突くし血液を集めてください、と言われたことがあった。

 父親と一緒に、ありとあらゆるところに電話をかけ、事の詳細を説明し、その危機的状況を広めて欲しいと、懇願したのだった。

 その時は、父親の職場関係、私の大学の先輩後輩など多くの方の善意を頂戴し、さらに父親のバレーボール部時代の後輩が、当時社会人の北海道トップチームだった、拓銀女子バレーボール部監督をしていた縁で、その部員アスリート達の中から該当のAB型選手に、前述血液センターに、山鼻拓銀体育館から参集していただき、大いに助けていただいた事があったのだ。

 それ以来、小さなボランティアではあるのだが、細々と献血を続けているというわけなのだ。男性の最終献血可能年齢が69歳までなので、あと10年は頑張って続けて行きたいと思っている。特に最近の若い人たちは、献血にベクトルが向いていないと、職員は嘆いていた。まあ、ボランティアだから、強制するものでもないのであるが・・・。

(斎藤仁)