天満宮
天満宮の存在を知ったのは、昭和47年(1972年)の秋、最上町の道営アパートに住んでいた同級生が、天神町に引っ越した時であった。
「今度、天満宮の上の方に引っ越すことになったから」
「天満宮???小樽に天満宮あるのかい???、たしか菅原道真の天満宮は福岡県の大宰府にあるはずだぞ???」
などと中二社会歴史の教科書に出てくる、平安時代のくだりを知ったかぶりしてしゃべったりしていた。
「いや、天満宮だな、親はあの坂道の横の神社は天満宮って言ってたな・・・」
友だちは言う。
私は小樽には、住吉、龍宮、水天宮の三つの神社しかないと思っていた頃だったので、勉強の神様といわれる天満宮が小樽にも存在するとは、大変な驚きであった。
というか、受験シーズンになると、大宰府天満宮に受験生がお参りするという報道が、毎年の歳時記のようにニュースで流れていた割に、小樽の受験生が天満宮をお参りしたという話しは、あまり聞いたことが無かったので、天満宮の存在を訝ったわけなのである。
後に、天満宮のある地名を天神町と呼び、天満宮は全国津々浦々に1万2千社以上も存在することを、民俗学が好きだった父親から教えてもらった。
ちなみにここは、北海道に八つある天満宮の中で一番歴史がある。天満宮の由緒書きには、慶応3年(1867年) 小樽港新地町に勧請(かんじょう)と記されている。また、ここ以外の七社は〇〇天満宮と称しているがここは奥沢天満宮や小樽天満宮とは称さず、天満宮と漢字三字で称している。
小樽市内の例大祭は、5月の招魂祭からはじまり8月末の天満宮まで、毎週どこかでお祭りをやっていると言われてきたが、最近は朝里神社が9月の一週目に例大祭を開催するので、天満宮の例大祭が最後でなくなってしまったことを、最後に付け加えておく。
(斎藤仁)