一福

 そば店にとって年越しそばの準備に忙しい12月のある日、久しぶりに一福に行ってきた。ご存じ色内2丁目にある老舗のおそば屋さんだ。日銀通り小樽バインと松田ビルに挟まれた通りの中ほどに位置している。

 現在の店主森田一正さんはここの四代目で、私の潮陵高校、小樽青年会議所の後輩でもあり、よく存じ上げている。会うと必ず先輩ご無沙汰ですとあいさつしてくれる。

 彼は高校、大学と剣道に打ち込んだスポーツマンだ。現在も小樽剣道連盟の役員で、ちびっこに剣道の指導をしていると聞いている。ちなみに奥さんもアルペンスキー選手として、北海道でも名を馳せた選手だった。

 ここのお店のテーブルには、メニューと共に平成6年(1994年)に開店100周年を迎えた時に、三代目森田伝一氏が書き残した、お店の由緒が書き記されている。現店主のお父さんだ。

 そこには、明治27年(1894年)6月に初代森田伝蔵氏が色内川尻にて独立開業と記されている。初代は現店主の曽祖父という事だ。北海道に移住してきた頃より、何を出しても売れる時代、度重なる火災被害、先の大戦を経験し、戦後の混乱期から好景気等、時代の流れがどうお店に影響したかを書き記していた。最後は、二代目より聞いた話や私の記憶違いの点がありましたらご容赦下さい。と結んでいる。先代の謙虚さが読み取れる後書きだ。

 明治時代の色内町といったら、小樽港も大変活気があり、港で働く人たちで溢れかえっていた頃だ。また、新天地北海道を目指し多くの人達が、一旗揚げようと内地(本州)から上陸してきた頃でもある。創業者もその一人、一家族だったと推察する。それから苦しかった戦時中を過ごし、なんでもあり状態の現在の外食界を生き抜いてきた、気概と一子相伝の味は特筆に値すると思う。

 さて、久しぶりの一福であるが、午後3時頃だったのだが、私は相も変わらず好物かしわそばを注文した。待つ間に前述由緒書きを読んでいると、ほどなく外国人の三世代とおぼしき家族連れ6名が入ってきた。

 場所柄そんなインバウンドの観光客も多く来店するのかと思っていると、女性店員は片言の英語と日本語、ジェスチャーを交えながら慣れた感じで注文取りをしていた。

 そうか、日本そばも外国人観光客にとって、ヘルシーに代表される日本食の一つとして人気なのかなと考えたりしながら、鰹と昆布の出汁が効いたかしわそばを食させていただいた。

(斎藤仁)


※本記事の内容は2017年12月時点の情報に基づいたものです。