緑小学校
平成30年(2018年)3月で閉校になる緑小学校は、私の母校である。私は昭和46年(1971年)3月卒の第50回卒業生、前年の昭和45年(1970年)秋に体育館で開校50周年式典を開催したのを、おぼろげながら覚えている。
今の校舎は、この昭和45年春に完成したもので、新築の香り漂う校舎で6年生の1年間だけ学ぶ事ができたわけである。スチーム暖房、水洗トイレ、センターからの給食と今までの小学校生活になかった、今では当たり前になったシステムの黎明期に小学校生活が送れたということである。ちなみにその頃はまだ米飯給食は実施されていなかった・・・。
2年生から4年生までの3年間過ごした木造2階建校舎は、冬などすきま風がすごく、教室前方にあった石炭ストーブの周りだけが温かく、窓際の一番後ろの席などは、隙間から入り込む雪との格闘が日常茶飯だった。
まあその頃は、そんな木造2階建のオンボロ校舎は小樽のみならず日本中にあり、緑小学校だけ特別オンボロだったというわけではなかったと思うのだが・・・。ただ、テレビの青春ドラマに出てくる3階建の鉄筋校舎と昼休みに休憩している屋上には憧れたものだった。
ちょうど昭和30-40年代にかけて小樽市内のいくつかの小中学校が、火の不始末等で校舎火災が続いていた。それらが原因の一つで、緑小学校の改築時期が少し遅れていると聞いていた。
そんな時、昭和44年(1969年)4月から翌年3月まで1年間の突貫工事で、今の校舎を建てることとなったのだ。その工事を推進する過程では、PTAを中心とした保護者の力の結集が、国や道の担当部署を動かしたということのようだ。
緑小学校の創立は大正9年(1920年)。小樽が道都札幌より人口が多く、日本を代表する商業都市だったころである。ちなみに今はその頃と同じような人口になっているのだが、人口構成がまったく違うので、母校の閉校を止める事はできなかった。この校舎も築48年、開校100周年を迎えることなく、幕を閉じることとなった。
(斎藤仁)