旧花園病院

 旧花園病院は、写真をご覧のようにマンサード屋根で、正面窓上にある漆喰の意匠が鮮やかなデザインの大正時代の個人病院建築である。花園3丁目辰巳通り相生町踏切のそばに位置し、私の自宅マンションのすぐ近くという事もあり、毎日の愛犬散歩ルートになっている。

 ここは小樽市の歴史的建造物に指定はされていないが、「小樽の建築探訪」(小樽再生フォーラム編)等、数々ある小樽の建築物案内書やガイドブックに記載されている人気の建築物の一つである。

 この病院は、大正13年(1924年)黒瀬病院として開業している。この病院名にもなっている黒瀬金之助先生は、東大医学部出身で、師の名声は全道各地に鳴り響いていたと、近所に戦前から住んでいる古老が教えてくれた。

 この黒瀬病院であるが、戦後、港湾系の財団法人に売却し、小樽の港湾系組織が管理運営していたそうだ。さらに、そのまま黒瀬翁が院長を務めて、日本荷役援護会小樽病院として再出発していると小樽医師会記念誌に記載されている。

 名前から想像すると、戦後は港湾労働者のための病院としての開設のようである。港町小樽には掖済会病院など船員に特化した医療機関があったので、その一つということかと想像している・・・。

 以降いくつか名前を替えながら、最後は北海道の港湾系財団法人傘下の小樽花園病院として、内科、外科の2診療科で地域医療に貢献してきた。古くからこの界隈に住む人たちの話しでは、町医者として花園病院に通っていたようで、特別に港湾関係の人たちやその家族のみしか診療されないということはなかったようだ。

 ちなみに、我が家でもマンションに越して来た当初、家族が通院していたようだ。なにしろ30年以上前の事なので、記憶もあいまいであるのだが・・・。

 実は数年前、この花園病院を、小樽南ロータリークラブでご一緒させていただいた、青柳正男さんが社長を務めるテクノという産廃業者が購入したということがあった。

 その会社は、夕張の旧北炭鹿の谷倶楽部という歴史的建造物を再生させた会社であったので、新たな形で花園病院が再出発できるのかと、町内会では大変期待していたのであるが・・・。

 それでも土台だけはジャッキアップして、再生に関してそれなりの準備はしていたようであるのだが・・・。数年後売却してしまったと聞き、大変残念に思っている。

 現在はNPO法人小樽民家再生プロジェクトで、新規購入者を募集しているようだ。ここを再生利用しようとする熱い心をもった起業家に期待したいと思う。

(斎藤仁)