色内駅

 小樽市内小学校社会科の副読本に「小樽のあゆみ」???という本があった。疑問符が付くのは、名称に自信が無いからであるが、確かこのような名前だったはず。その副読本で勉強したのは3-5年生頃だったような記憶があるが、確証はない。内容は読んで字の如く、小樽の地理、歴史に関しわかりやすく書かれていた。

 この本は、小樽の歴史と共に、代表的な神社・仏閣、公共施設等が地図上に記載されていた。小学生の行動範囲は狭いもので、市内とはいえ行ったことのない所だらけだった。

 旧国鉄の駅も銭函から蘭島まですべて記載されていて、現在は廃止されているが、手宮駅、浜小樽駅、張碓駅の記述もあった。ただ、残念ながら手宮線唯一の中間駅である、色内駅の記述はなかった。

 昭和37年(1962年)、手宮線の旅客営業廃止に伴い色内駅は廃止となっている。私が小樽に来たのが昭和41年(1966年)だったので、もう少し手宮線旅客が長らえていたなら、きっとリアルタイムで見ることができたと思っている。

 私が色内駅の存在を改めて知ったのは、色内駅から多くの市民が乗降する写真を北海道新聞社刊「おたるなつかし写真帳」で見たのが最初だった。

 「手宮線の色内駅って??? そんな駅あったの?? みんな知ってる? 」
 「ああ、もちろん知ってるよ、何度も乗り降りしたからねえ。」
 「わたしなんか、新婚旅行、色内駅から出発したよ」
 「えっー、みんな知ってるの??? わしは、この間の道新で初めて知ったよ」
 「あら、先生でも知らないことあったんだね・・・!!!」

 日頃より、昔の小樽四方山話を生徒さんとしているので、半分冗談で言われた会話であった。

 色内駅は街中にあったので、手宮方面から出てくるのに大した便利でよく利用していたと前述手宮出身の方は言っていた。

 平成23年(2011年)、隣接する小樽市分庁舎裏庭再整備事業の一環として、当時の色内駅舎が休憩所にアレンジされて復元された。ポプラ並木が伐採されたあの事業である。

 最終的には手宮駅まで延びる旧手宮線跡地緑地の、新たなシンボルとして市民、観光客に愛される「色内駅」であってほしいと願っている。

(斎藤仁)