ミツウマ
私が最初にミツウマを訪れたのは、昭和42年(1967年)小学3年生の小樽市内見学旅行であった。というか、それ以来社内に入ったことは一度もないのが現状だが・・・。
まだ現社名のカタカナ表記ではなく、三馬ゴムと言っていた時代のことである。
当時小樽市内の小学校は、3年生がこの市内見学、4年生が札幌市内見学、5年生が支笏湖見学、そして6年生になると洞爺湖への一泊修学旅行と相場が決まっていた。
さて、この半世紀近く前の市内見学を思い返してみると、鮮明に記憶に残っているのが三馬ゴムの工場見学なのである。当時小樽市博物館だった旧日本郵船小樽支店や、鉄道記念館だった改装前の小樽市総合博物館手宮館、さらに奥沢水源地(水源池ではない)、日本製粉小樽工場にも行ったような記憶が微かにあるのだが・・・、その時に行ったかどうかは疑問符が付く記憶だ・・・。
話しは戻り、三馬工場見学の記憶である。今も残る学校の体育館よりも大きなかまぼこ型工場に足を踏み入れると、生ゴム塊独特のいままで嗅いだことのない臭いが、工場内に充満していた。この臭いは、私の前頭葉記憶中枢に今も残っている。
その生ゴム塊を大きな裁断機で切り分ける、大きな「ドーン、ドーン」という音が、ガイドしていただいている職員の方の声が耳に入らないほど館内に響き渡っていたのだ・・・。
当時の小学生は、冬はもちろんのこと、春や夏、秋でも雨の日はゴム長靴を履いていた。
何といっても一番人気はこの三馬ゴム製の長靴、その次が第一ゴム、市外メーカーの長靴を履いている子はほとんどいなかった。
今思えば、市内メーカーの長靴は、それぞれの地縁血縁ルートで安く手に入っていたのかもしれない。中学生だった昭和40年代後半くらいまでは、長靴が身近だった生活が続いていた・・・。
昔、夏に三馬ゴム短靴を履いている友達がいた。母親に同じような短靴を買ってくれと懇願したのだが、足がぬるぬるして汚れるからダメだと、一蹴されて実現はしなかった・・・。
私は子どもの頃、濡れても浸みず、合法的に水たまりの中に入って行けるゴム長靴が大好きであった。
残念ながら現在は、マンション住まいで除雪もなく、それを履くことはほとんどないのである・・・。
(斎藤仁)