銭函海岸の石炭採り

zenibako_beach

 写真は小樽信金銭函支店裏の銭函海岸である。私のダンススクール銭函教室の生徒さんから、半世紀以上前、この海岸で繰り広げられた摩訶不思議で、信じがたい話しを聞いた。

 齢80になるその生徒さんは、昭和30年代に銭函にお嫁入りした。ちょうど私の両親と同じような世代の方である。銭函での大事な家事の一つといえば、なんと海岸に石炭を採りに行く事だったというのである。

 「石炭採りに行くって???どういうこと???訳がわからないんだけど・・・」
 「私もわからなかったけど・・・、とにかくご近所みんな採りにいくものだから・・・」
 「その石炭ってどこからきたの???」
 「全然わからないさ、お姑さんに言われて、海が時化(しけ)たら石炭採りに行っていたからねえ・・・」
 「どうやって石炭を集めたの?」
 「ザルですくって砂を落として集めたものさ。そういえば、馬車呼んで運んでもらったこともあったわ」

 まあ、とにもかくにも銭函海岸に行くと、一冬過ごせるだけの石炭が、何年にも渡って流れ着いていたそうなのだ。その頃の銭函では、石炭は買うものではなく海岸から拾ってくるものだったようなのだ!!!

 海から拾ってくるものだから、家の前に石炭を雨ざらしにして塩分を落としてからストーブで燃やしていたようだ。ただ、雨ざらし程度で塩分が完全には落ちず、薄い鉄板製のルンペンストーブなどは、ほとんど1シーズンでダメになったと言っていた。

 平成27年(2015年)郷土出版社発行の写真集「こころの小樽」内に、銭函の主婦が海岸で石炭を拾う白黒写真と共に、こんな記述があった。
 《銭函地区は昭和34年炭層が発見され・・・、海岸に石炭が打ち上げられるのも、炭層が海中に露出しているとか、輸送船からこぼれ落ちたとか、いろいろな噂があった・・・》

 その後、暖房エネルギーが石炭から石油の時代に移って行くに従い、石炭拾いも不要になったそうだ。しかし、石狩湾新港ができるまでは、時化るとホッキ貝などが打ち上げられ、夕食のお膳に並ぶこともしばしばだったという。ちなみに新港ができた現在は、物が打ち上げられるどころか、反対に砂まで持って行かれているという事だ・・・。

(斎藤仁)