静仲通り

shizunakadori

 静屋通りと都通りアーケード街の間に、静仲通りという300m強の小路がある。中央通り側が、居酒屋やカラオケ店が入る「ハーバーライトビル」と「ホテルニューみなと」跡の駐車場。浅草通り側が、メガネの「水晶堂」とあられ菓子で有名な「みどり屋」となっている。

 この静仲通り、通りの存在は良く知られているが、名称は意外と市民に知られていない。
水晶堂側からこの小路に入ると、あまとう洋菓子店の裏側になり、あまとう洋菓子工場の看板が目に入る。しばらく歩くと街頭放送の「北海道時事放声社」、ガイドブックにも載る焼肉屋の「がつやしまざき」、和食と銘酒の「百年坊」、イタリアンレストラン「おたるぴざはうす」となかなかの名店が続く。

 「ぴざはうす」の隣は、伊藤整ゆかりの「旧衣斐質店」の古い建物、この質店の向かいは電気館の真裏。さらにその隣には、私の音楽仲間が開いた「TAKI’SBAR」の新しい看板。ところどころにある古い建物が解体されての駐車場風景は、どこの街も同じかなと・・・。ゴールの中央通り側ハーバーライトビルの居酒屋、カラオケ店はいつも大盛況のようだ!!!

 私がこの通りを知ったきっかけは少々面白い・・・。父親との雑談の中で、こんな話しを聞いたのだ。たしか中学生くらいの頃であったと思うのだが・・・、記憶は定かでないが、内容は忘れられないものだった!!!。

 昭和20年代後半、花園スポーツセンター(野外)での、全道学生バレーボール選手権参加のため、学芸大学(現教育大)岩見沢分校バレー部の一員として、ここの通りにあった旅館に仲間と投宿したそうだ。

 試合を翌日に控えた夜中、突然外から聞こえる痴話げんかの声に、びっくりして全員飛び起きたというのである。そして、その騒動を2階の窓からみんなでじっと眺めていたというのだ。事の顛末までは聞かなかったのだが・・・。「殺せ~!!!」だの「死ね~!!!」だの、結構ぶっそうな叫び声は飛んでいたそうだが・・・。

 なんでもこの小路は戦後赤線地帯として、その種のお店が軒を連ねていたようだ。今でも当時の建物が残っているようだ。そんな裏の歴史を考えながらの散策もこれまた楽しいかなと思う。海側の都通りは花の繁華街、山側の静屋通りは昭和50年代、小樽の原宿ともてはやされた。その二つの通りに挟まれた静仲通りの歴史に裏打ちされた路地裏の場末感は、なんとも言えない味がある。

(斎藤仁)