旧光亭

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 水天宮の坂下、東雲町の一方通行下り坂に旧光亭(きゅうこうてい)はある。小樽市歴史的建造物第79号に指定されている。私は車であったり、愛犬の散歩であったりと、この歴建の前は日常茶飯事よく通っている。

 聞きかじりの歴史を少々ひも解くと、建築された昭和12年(1937年)には、東京新宿信濃町にある「光亭」の小樽店として、この界隈に数多くあった料亭の一つとして開店している。主屋の東側に3つの棟を配置し、中央の棟には石州流茶道の「茶室」があり、主屋は入母屋妻入りで、外壁を押縁下見板とした和風の外観が特徴。2階の大広間には座敷飾の床、付書院、地袋棚を備え、それと対面して舞台となる檜の板の間が設けられている。

 このような純日本建築の数寄屋造りの料亭は、小樽では海陽亭、新松島とここが有名であったのだが、色内1丁目エンペラー向いにあった新松島は既に取り壊され、マンションに取って代わられている今、海陽亭と旧光亭のみとなってしまった。

 ここの現在は、昭和32年(1957年)より北海製罐の社員用福利厚生施設「罐友倶楽部」として使用されている。光亭より罐友倶楽部の歴史の方がはるかに長くなっている。

 私は最近知ったのだが、なんと昔から有名寿司店等のケータリング(宴会出前)で、北海製罐の社員でなくとも建物内を見学し、食事ができると聞いている。私のダンススクールの生徒さんも、20年以上前に町内会の新年会をここでやったことがある、と聞かせてくれた。

 この水天宮下東雲町界隈には、光亭をはじめ呉竹、新松島、迎陽亭、中島屋など多くの料亭があった。また、昼間から芸者上がりのお師匠さんが奏でる三味線や琴の響き、屋敷町の若旦那衆の小唄、長唄の声が聞こえたり、北の学習院と呼ばれた堺小学校児童の遊ぶ声、妙見堂にお参りする人たちの下駄の音や柏手が相まって、粋で風流な街を形成していたという。

 現在は一方通行上り坂、下り坂ともに車の往来は激しくなっているのだが、この歴建旧光亭の前に佇むと、件の粋で風流な街が甦るように感じてしまうのは、私だけではないと思う。

(斎藤仁)