西病院の石垣
花園2丁目嵐山通りと第三大通りの角に西病院はある。そして写真のように第三大通りに面して西病院の石垣がある。ここの院長西信博先生は、昭和9年(1934年)生で小樽の医学界はもとより、小樽山岳界の重鎮でもある。さらに私の所属する小樽南ロータリークラブにおいては大先輩でもある。
先生は、文才にも優れ私家版ながら「山のあなたの空遠く」「山のあなたの空遠くⅡ」「山のあなたの空遠くⅢ」と3冊を上梓されている。内容はホームグラウンドの精神医学系もの、山岳関連もの、地元小樽もの等多岐に渡る随筆集である。
さて、話しは変わり先日小樽観光協会主催「小樽の日本遺産登録に向けて」というおたる案内人登録者向けの講演会に行った時である。講師の小樽市教育委員会生涯学習課の石神主管の話しの中で、「小樽は坂の街と言われる。もっともだが、私は『小樽は石垣の街』だと思う・・・。」立派な石垣が多く残されていると言ったのである。
それ以来、ついつい石垣に目が行くようになったのだ。確かに小樽は坂の街だけに、間違いなく石垣だらけである。浄応寺の石垣は名城のようだし、この西病院の上隣ライオンズマンションが建つ、旧高橋直治邸の丸石の石垣は、ガイドブックに載っているほど有名である。杜のひろば大橋一弘会長に言わせると、緑町にある旧荒田邸の石垣が小樽で一番だと言っている。だが、ご覧の通り西病院の石垣もなかなかのものである。
そこで先日、ロータリークラブ例会の時、西先生にこう聞いたのだ。
「先生の所の立派な石垣、病院建てたときの物なのですか?」
「いやいや、あれは板谷宮吉さんの石垣だ。私の父親が、板谷さんの家を買ってその家のまま病院を開業したのだよ。今の建物は2代目だが、石垣は板谷邸以来のものだな」
「えっ、板谷邸ですか・・・。東雲町にも歴史的建造物の板谷邸がありますから、どちらかが、別邸ということですかね?」
「まあ、くわしくはわからないけど・・・、間違いなく板谷さんの家だったよ」
日本海運界に小樽に板谷ありと言われた、板谷宮吉氏の邸宅がここにもあったとは・・・。ちなみに小豆将軍高橋直治氏と板谷宮吉氏は同郷で、板谷氏が10歳下ということだ。お二人は大変仲が良かったと文献には記述されているが、同郷の大先輩ということなので、邸宅の建ち位置にも上下があったのだろうかと、ついつい考えてしまった。考え過ぎだろうか・・・。
(斎藤仁)