旧富士館跡

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 小樽はいろいろな街として形容される。例えば、餅屋の街、銭湯の街、映画館の街、スキーのメッカ、意外なところではダンスホールの街、等々・・・。今回は映画館の街に関し、少々思い出話を・・・。

 最盛期の昭和30年代前半、小樽には23の映画館があった。人口比でいうと当時50万人の札幌が40館強だったので、人口20万になったばかりの小樽は、それを凌ぐ多さだった事になる。

 五社協定(後に六社協定)で有名な、大手映画会社直営の封切館や、明治、大正時代から営業している歴史ある芝居小屋からの転身組、封切館から遅れて上映する二番館、三番館と呼ばれる名画館、さらに場末の成人映画専門館など、さまざまな映画館があった。

 今回の写真は、梁川通りにあった富士館跡である。富士館はもう少し小樽駅よりにあったコトセ館同様、場末の成人映画専門の映画館であった。つまり、昭和40年代前半に、子どもだった私には、まったく関係のない映画館だった。ちなみに、大手をふるって見に行ける年頃には、閉館していた・・・。

 当時、小樽の街中で、子どもが鑑賞できる映画館というと、マンガ祭りの小樽東映。ゴジラなど怪獣映画の小樽東宝。青春映画の日活。松竹、大映映画を見られる中劇。洋画の電気館くらいであったと思う。

 昭和30年代後半から40年代にかけて、小学生男子に絶大な人気を誇ったのが、東宝の怪獣映画だった。大映が柳の下の二匹目のドジョウのごとく、ガメラ、ギャオスというキャラクターで怪獣映画に参入した頃、遅ればせながらと、松竹が怪獣映画に参入した事があった。

 その映画「宇宙大怪獣ギララ」という映画を小樽で上映したのが富士館だった。私は、この怪獣ギララのおかげで、小学生のくせに富士館を知ることができたのだ。しかしながら、観には行っていない・・・。当時から松竹の封切館は中劇だったのだが、なぜか子供向け怪獣映画が、富士館で上映されたのである。

 中央通りを挟み左右に分かれる、都通りアーケード街と梁川通り。駅裏感満載の梁川通りには、子どもの頃、立ち入る機会がなかなか無かったが、近年は愛犬の散歩コースのひとつになっている。

(斎藤仁)