旧石山中学校

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 先日、平成14年(2002年)閉校になり、立入禁止となっている旧石山中学校に生まれてはじめてそばまで行ってきた。グラウンドに続く住宅地跡が更地になり、そこから眺める事ができたのだ。

 校舎の周りは工事用の塀で囲まれ、校庭グラウンドも雑草が膝丈より高く生い茂り、中には風に運ばれた針葉樹が子どもの背丈位まで伸びていたものもあった。閉校から14年も経つので、それも致し方ない事かと思う。現在は、小樽市教育委員会の所蔵倉庫として使われている。

 さて、国道5号線の小樽駅を過ぎたあたりから、まっすぐに見えていた小樽唯一の円形校舎が、石山中学校であったので、まったくはじめてという感じではなかったが、近くで見る2棟が連なる眼鏡型の円形校舎は、今でも斬新なデザインであった。

 狭小の土地を有効活用する円形校舎は、昭和30年前後全国各地に建てられ、小樽でも昭和32年(1957年)完成のここ石山中学校、昭和36年(1961年)には稲穂小学校の先代校舎の体育館が円形で建設されている。

 石山中学校は戦後の学制改革で多く新設された、いわゆる新制中学の一つで、昭和22年(1947年)に開校している。それから9年後の昭和31年(1956年)5月3日におきた色内小学校石炭置き場から出火した火災の類焼により石山中学校も焼け落ちてしまった。この界隈216戸も焼失した大火事だったそうである。

 たまたま、火事の当時在学していた昭和17年、18年生まれの方々との会話の中で、思い出話をうかがった。当時二人は、中学に入学したばかりと、2年生になったばかり。学校が休みだったことが幸にして、けが人や犠牲者が出なかったのはよかったのだが、校舎がすべて焼失してしまったので、在校生はそれぞれ西陵、菁園、長橋、末広、北山の各中学校に分散され、翌年この円形校舎が完成するまで、1年半にわたりそれぞれの学校にお世話になったそう。

 また、当時はどの学校も生徒数が多く、末広に分散された一人は、
 「授業が変則的な二部制になってしまい、午後1時から学校に行くものだから、時間を持て余し、友達と午前中豊井の浜に行って泳いでから、学校に行ったものだ」
 「泳ぎ疲れて授業中に寝てしまい、末広の先生に石山の生徒は・・・とよく怒られていたなあ・・・」などと語ってくれた。

 まだ古い旧来型木造2階建校舎が主流だったこの時代、円形で鉄筋4階建の斬新な校舎は羨望の的になったという。月日は流れ建築以来、今年の秋で還暦を迎える円形校舎であるが、夕日を浴びて次の活用を待ちわびているようだった。

(斎藤仁)