菁園中学校

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 小樽の中心部花園町に菁園中学校はある。倅が3年間お世話になった学校でもあり、我が家にとっても大変馴染みの学校だ。私は平成16年(2004年)に現在の3代目校舎が完成する前、昭和42年(1967年)にできた鉄筋3階建2代目校舎の時代、中学2-3年生の頃、二度ほど訪問している。ちなみに現在の校舎にはまだ入っていないのだが・・・。

 さて話しは戻り、一度目の訪問は中学2年生の時、ここの体育館で行われた市内中学校バスケットボール新人戦の応援に、仲間数人と行っている。当時は小樽市総合体育館がまだ建設されてなく、室内競技は市内各中学校の体育館で開催されていた。バスを乗り継いでまでの応援は、なかなかできないが、通っていた松中区域から徒歩圏内ということもあり、それでは応援に行こうかということになった。

 二度目は翌年中学3年生の秋、全校生徒集会に姉妹校生徒会役員としてお招きいただいた。その時は、全校生徒の前でご挨拶させていただいている。集会終了後、校長室に両校三役が呼ばれ、校長先生から何か慰労の言葉を言われたと思うのだが、緊張していて良く覚えていない・・・。帰りは団子坂を上って最上町方面に帰って行った。

 ここは小樽市内でも街中にあるということで、現在でも人気が高く、また昭和27年(1952年)に庁立高女(桜陽高校)の校舎を転換しているのも相まって、特に妙齢のご婦人方からは、名門感が非常に高い。

 「あなたはどちらの中学校ですか?」
 「菁園中学です」
 「菁園・・・、あそこは庁立高女だったから、名門なのよ!!!」
 「あの・・・、ちょうりつこうじょって・・・???」

 以前にこんな会話を聞いたことがあるのだ。それで高校教員だった亡父にこう聞いたことがあった。

 「菁園って桜陽だったの?」
 「そうだよ。菁園の場所に桜陽があったから、そう思っている人もいるようだ」
と答えてくれた。

 当然、庁立小樽高女の歴史は桜陽高校が継承して、菁園中学校は戦後にできた新制中学校からの歴史しかない。

 しかし、こんな話しを聞いた。高女時代からの校舎の菁園中学校に通っていた妙齢の女性が言っていた事だが、先生方もここは庁立高女だったのだから、他の中学校とは違う。君たちも誇りを持って勉強してください。と度々言っていたというのだ。まあ、その方も、中学生に勉強をさせるための方便だったかもしれないと言っていたが・・・。

 しかし、現在は私を含め、ここが庁立小樽高女だったことを覚えていない世代が大半を占めている時代になっている。

(斎藤仁)