北照高校跡地
現在最上2丁目にある甲子園の常連北照高校は、昭和55年(1980年)まで緑第一大通りと緑第二大通りの間、正法寺通りにあった。現在跡地は、マンションと病院が建っている。そこには緑第一大通り沿いに、ひっそりと北照高校跡地の石柱が建てられている。
私が小学生の頃から、野球は小樽地区の代表常連で、全道大会でも調子がいいと準決勝までは行く、甲子園までは届かないがまあ北海道では中堅クラスの高校だった。
緑小学校の帰りに、友達と桜ヶ丘球場での試合がタダ見できる忠魂碑から、北照の応援をした事も度々あった。
自校のグラウンドがなく、近くという事もあり予選を開催する桜ヶ丘球場を練習場に使っていたので、市内の他校からは妬みも込めて、
「練習会場が大会会場だもの、勝って当然だわ」
「桜ヶ丘での試合を円山でもやれば、甲子園行けるのに。円山での北照は別人だ」
などと言われていたという。しかし、桜ヶ丘球場での練習も時間制限があり、十分取れなかったり等、いろいろな問題も抱えていたようだ。後年最上町に移り、伍助沢の峠に自校球場ができてからの野球部の全道、全国大会での活躍はご存じの通りだ。
札幌オリンピック前夜の当時、何といってもスキーの強豪校として北照は全国に名を馳せていた。アルペン、ノルディック両部門で数々の名選手が新聞スポーツ欄を賑わせていた。小樽の子供たちにとって、スキーの札幌オリンピック候補選手は、プロ野球選手よりヒーローだった時代だ。
制服姿で、近所のパン屋さんに買い物に行く、強豪スキー部の選手を見つけては、
「あれ、複合の中野秀樹でないか?新聞に写真出てたから間違いないわ!!!」とか
「あれは曲げの〇〇だ」「純ジャンの誰々がいる・・・」
と言っては、アイドルを見るように楽しんでいた。
もちろん、恥ずかしくて声などかけられなかったが・・・。
北照高校が緑町から最上町に移転して36年という月日が流れた。緑町にあったことさえ知らない世代も多くなっているのだが、この石柱を見ると、そんな懐かしい思い出がよみがえってくる。
(斎藤仁)