オタモイの記憶
東京に出てきて3年が経った。もうこのまま故郷のことは忘れてしまうのかなと思っていたが、小学校の後輩が上京して来て、有楽町で飲む機会があった。そこで地元の話になり、故郷で過ごした愛しい日々の思い出が蘇った。
小樽の西側にある「オタモイ」という町で育った。漢字では「於多萠」と書くそうだが、ニセコやキロロと同様、カタカナ表記のままだった。
小樽駅から30分くらいバスに揺られるとオタモイに着いた。周りを小高い山に囲まれているが、その山を超えると急な崖があり、すぐ下は海だった。なので、町に遠い海鳴りが聞こえてくることもあった。坂が多いのは小樽の特権で、夏は坂を登って山に虫捕りに行ったり、海にツブを採りに行ったりもした。
冬は裏山でスキーをしたり、坂道でソリ遊びもした。坂が多いから自転車に乗らないなんてことは無く、小学生時代はママチャリではなくマウンテンバイクに乗って遊んでいた。小樽の子どもたちは、みんなこんな時期を経験して育つのかな。
そんなオタモイだが、今でも強烈に思い出す情景がある。銭湯の記憶である。
小樽は銭湯が多いことで有名だが、オタモイにも昔、満寿美湯という銭湯があった。男湯ではおじいちゃんが多く来ていて、よく身体を洗わないで入ると怒られた。お湯はすこぶる熱かったが、冷水を入れるとまた怒られた。そんなこんなで最初はよく怒られていたが、それもいいコミュニケーション。多くの大人と顔見知りになり、番台のおばちゃん、お姉さんとも仲良くなった。アイスやコーヒー牛乳をおごって貰ったりもした。店を出る時は、「どうも」と言って店を出るのが決まりだったが、小さいころは恥ずかしくて言えなかったっけ。
熱いお湯ですっきりして、あっちこっちから夕飯支度のいい匂いがする群青色に染まったオタモイの町を帰った情景は、今も心の中にしっかりと残っている。「今日の夕飯なにさ?」なんて、近くのおじちゃんがよく話しかけてくれた。せかせかしない、ゆっくりとした時間が流れていた。
東京で満員電車に揺られているとき、ふと「あのころのオタモイの人たちは今も元気かな?」なんて思うことがある。あれだけあたたかい町の思い出が心の片隅に残っているのは、とても幸せなのかもしれない。遠く離れた地にいても、故郷では故郷の時間が流れていることをたまに想うのは、大切なことだと思う。
(yw)
※「満寿美湯」に関しては、下記のURLにて記述があります。
小樽ジャーナル(2010/12/10記事)http://otaru-journal.com/2010/12/1206-3.php