旧遠藤又兵衛邸
小樽警察署前の通りに、明治35年築(1902年)の「小樽御殿」と呼ばれていた、旧遠藤又兵衛邸はある。現在は立正佼成会小樽教会として活用されている。
ここの前に中央バス市内線「富岡一丁目」のバス停がある。私は小学5年生の昭和44年4月から翌年3月まで、このバス停を使いバス通学していた。
前年より最上町に引っ越していた私は、なぜか最上小に転校せず、緑小に通い続けていた。そして5年生の1年間は緑小校舎新築工事のため、現在の小樽市保健所等のある場所にあった、旧富岡小学校の仮校舎に通っていた。
毎朝、この大邸宅の前でバスを降り、歩道橋をわたり学校に行っていたのだが、当時は今のように「旧遠藤又兵衛邸」のくわしい案内看板もなく、門に「立正佼成会小樽教会」の縦看板が掲げられているだけで、門扉も閉められていたように記憶している。
小樽を代表する和光荘、青山別邸、海陽亭等の存在さえも知らなかったこの頃、ここが「小樽御殿」と呼ばれていた旧遠藤邸ということは、当然の如く後に知った事であった。
歴史によると昭和39年(1964年)から立正佼成会が小樽道場として使用しているという事なので、私が毎朝降り立っていた昭和44年は、立正佼成会管理になり、まだ5年ほどしか経っていなかった頃になる。
当時、私の愛読書は週刊ベースボール。勉強は好きではなかったが、野球雑学は大好きだった。巨人軍V9戦士ショートの黒江選手が、巨人入団前アマチュアの最終所属先が、立正佼成会だった事を見つけた時は、小樽教会所属でないのはわかっているのだが、なぜか嬉しかったのを思い出す。
その後この旧遠藤邸は、昭和59年(1984年)老朽化のため、解体して新道場を建設する予定となった。しかし、小樽教会の「小樽御殿」保存の意向を本部が聞き入れ、正面部分のみだが保存され、現在に至っている。今から30年ほど前になるが、奥にあった大広間などが解体されたそこに、鉄筋3階建ての大きな新道場が忽然と現れたのを思い出す。
それから、毎年5月中旬頃から1週間ほど、保存された正面部分のみ無料一般公開されているのは、皆さんもご存じの通り。その一般公開に47年の時を超えて今年初めて行ってきた。ランニングコストの面で、維持管理が大変な歴史的建造物であるのだが、ここ旧遠藤邸は、八角形の応接間、和室二間ともに往時の面影を今に残す保存状態であったことを書き加えておく。
(斎藤仁)