ジャズ喫茶フリーランス

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船見坂をまっすぐ下り、中央市場を通り越した旧手宮線沿いに、ジャズ喫茶フリーランスはある。マスターの神田泰行さんは、昭和23年(1948年)生まれの長野県出身、東京の大学を出た後、写真部時代に撮影旅行でたびたび訪れていた北海道に大いなる魅力を感じ、永住することを決めたのが昭和48年(1973年)という事だ。

東京での学生生活は、神田神保町のジャズ喫茶「響」に通いつめていたそうだ。毎日が満席で、ジャズの名盤とコーヒーの香り、煙草の臭いに完全にはまってしまった・・・。というか、この響と部室の往復が学生時代だったと言っている。

フリーランスの最初の場所は、もう少し運河寄りの国際街(現在のスリラーカラオケ付近)と呼ばれていた飲み屋街の一角だった。昭和60年(1985年)に開店したが、すでに東京で経験したジャズブームは下火になっていたそうだ。平成3年(1991年)にこの石蔵を自身で改築して移転している。手前味噌だが私のダンススクールと同じ今年で無事31年目を迎えたこととなる。

この明治時代に建てられた古い石蔵のお店に入ると、入り口横の古い薪ストーブと共に、膨大なジャズ関連雑誌のバックナンバーやアナログレコードが、所狭しと並べられている。ジャズを語る上で欠かせないのが、この一連の資料ということのようだ。

神田さん自身はプレーヤーではないのだか、小樽ジャズ倶楽部月例会の会場として、お店の2階スペースを開放している。小樽商大ジャズ研究会のメンバーやジャズ好き社会人が集い、夜な夜なジャムセッションを繰り広げている。

曰く、ここのような小樽に多く残る木骨石造の蔵は、壁として貼り付けられた軟石に気泡が詰まっていて、生音での響きが絶妙なんだと・・・。

また、神田さんは、私たちの主催する音楽イベントとも協力関係にある「音座なまらいぶ小樽」の主催実行委員会代表者でもある。そんな関係で、私もちょくちょく資料やポスターを抱えてここにお邪魔している。今年も10月9日に小樽市内各所が、音楽で溢れかえる。

(斎藤仁)