山二わたなべ

yamaniwatanabe

 鈴蘭灯で有名な梁川通りの角地に建つ山二わたなべは、昭和5年(1930年)築の木造3階建て。4階にあたる塔屋をのせたモダンなデザインで、まわりに大きな建物が無いこともあり、この地区のランドマークになっている。また、いまだ屋号とセットで呼ばれる数少ないお店の一つである。

 昨年末(2015年)、衝撃のニュースが小樽市内を駆け巡った。
 ここが、醸造委託していた北の誉酒造小樽工場が、昨年(2015年)12月に操業停止したのにともない、「熊古露里(くまころり)」や「北寶(きたたから)」など自社ブランド10銘柄が、今年(2016年)2月で出荷停止になるということだ。別の委託先を模索したが、なかなか折り合いがつかず、今後は銘柄の存続を条件に買収も視野に入れていると、ニュースでは発表されていた・・・。

 山二の歴史を店先にある、小樽市歴史的建造物の看板由緒書きから少々紹介する。渡邊徳次郎商店といわれた、渡邊酒造店は明治12年(1879年)創業の老舗造り酒屋である。長い歴史は他の造り酒屋の追随を許さないようだ・・・。

 アルコール飲料と言えば日本酒だった時代、日本全国数多くの酒造店があった。しかし、戦後、主流が、日本酒からビール、ウィスキーに移り、その多くは閉店を余儀なくされた。しかしここは、人気の自社銘柄を持っていたこともあり、全国に根強いファンを抱えていた。だが、時代の流れに抗う事ができず、昭和45年(1970年)錦町の自社工場を閉鎖し委託醸造体制に移行していった。

 先代社長の娘さんである現社長の菊地晶子さんは、私のダンス教室発表会や、音楽イベントにもお友達と、ちょくちょく顔を出してくださる方である。

 またここは、おたる潮まつり初日の潮ふれこみの出発地点、そして過去には2日目の潮ねりこみ第一梯団の出発地点にもなっていた。私も90年代後半、小樽JC会員時代、ここから市長、実行委員長、ミス潮をはじめとする役員梯団等を送り出していたものだった。

 どのような状況になっても、建物、酒銘柄共々小樽の宝物であるのは変わらない。後世まで残してほしいと思っている。

(斎藤仁)