都会館

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 小樽駅前をまっすぐ港方向に下りる大通りを中央通りという。最近はセピア通りなる新名称が付いているが、市民はいまだ中央通りと呼んでいる。新名称が浸透するにはもう少々の時間が必要なようだ。

 さて、この中央通りを駅側から見て、最初に横切るのが静屋通り、次に横切るのが都通りである。一般的には、アーケードのある札幌側を都通り、反対手宮側を梁川通りと言っているが、実際はどちらも都通りというのが本当らしい。

 その梁川通りの手宮寄りに写真の都会館はある。小樽に数多ある町内会館の中、火の見櫓と半鐘を屋根に上げているのはここくらいである。火の見櫓単独なら、手宮十間坂や住ノ江にもまだ現存しているのだが、会館の上にあるというのは、なかなかないのではと思っている。

 私の住む花園地区にも、小樽市歴史的建造物に登録されている花園会館があるのだが、そこにあった火の見櫓は、残念ながら老朽化で危険ということで、取り外されてしまった。

 ここ都会館は、大正12年(1923年)築の「第21部火災予防組合番屋」だったものが、町内会館に転用され、現在に至っているということだ。この通称消防番屋、市内に30数か所あったという。しかし、時代と共にここのように地域の会館になったものは稀で、ほとんどは老朽化のため解体されている。

 この都会館、昨年末(2015年)第21回小樽市都市景観賞の都市景観奨励賞を受賞している。今は町内会館なので利用はしていないが、火の見櫓、半鐘、建物前面に残る大正、昭和初期の意匠などを、地域の財産として改修保存の道を選んだことが、選考委員会から高く評価されたようだ。

 余談だが、小樽が生んだプロレタリア文学作家、小林多喜二の全国一斉労農葬の小樽会場をここで計画したのだが、主催者10数名が特高警察に事前拘束され、中止に追い込まれた歴史があると教えてくれたのは、平成6年(1994年)発行のガイドブック「小林多喜二と小樽」を執筆された、私の両親の友人でもあった故琴坂守尚先生だ。

(斎藤仁)