塩谷中学校

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 天狗山の麓、松ヶ枝中学校卒業の私が、海水浴場として有名な塩谷にある塩谷中学校を訪れたことが一度だけあった。

 時は昭和46年(1971年)7月の暑い日、その日は中体連がそこで開催されるため1年生の私は、同期生4人と現在の小樽駅前ターミナルの向かい側、三角市場側にあった中央バスターミナルから余市富沢町行に乗り、学校最寄りの塩谷文庫歌(しおやぶんがた)まで乗車した。そう、なんと相撲競技の代表選手としての来校であったのだ。

 松中では校舎の陰にひっそりとあった土俵が、塩谷中学校ではグラウンドのまん中にどんと鎮座していた。結果としてこの年で小樽における相撲の中体連は終わってしまったのだが、おぼろげな記憶を基に少々解説してみる。

 当時市内には16の中学校があったのだが、相撲に参加したのはそのうち7校、半分弱ということであった。各校学年別に5名の団体戦を組み、学年代表各1名が母校の名誉をかけて個人戦に出場した。各学年の団体戦、個人戦の優勝を目指ししのぎを削ったのだ。

 我が松中からは3学年合計15名の選手が参加したことになる。当時、それぞれに相撲部があったわけではなく、校内相撲大会により選抜された猛者が出場したということであった。

 校内大会の時は、短パンの上にまわしを締めて出場できたのだが、中体連の時は先輩方から、短パン穿いたままの選手なんて誰もいないから、サポーターパンツにまわし締めるからと言われ、思春期入口の中一生にとっては、なんとも言えない恥ずかしさを覚えたものだった。まあ全員がそのかっこうになるのだからと、すぐに諦めは付いたのだが・・・。

 お尻丸出しのまわし姿で、開会式のため控室だった体育館から、整列して坂道を下り土俵のあるグラウンドに向かったのだが、その坂道の芝生法面には拍手で迎える全校応援の塩谷中学校の生徒のみなさん・・・。たくさんのセーラー服姿の女子生徒に見られ、もう恥ずかしくて背中を丸めながらこそこそ歩いたのを思い出す。

 久しぶりに訪れた塩谷中学校のグラウンドは、雑草生い茂り土俵の名残はまったく無くなっていた。この塩谷中学校も平成28年4月に閉校され、長橋中学校との合併が決まっている。思い出の地の終焉を迎えることとなる。

(斎藤仁)