東山中学校
小樽公園の南東斜面、桜ヶ丘球場の裏側に東山中学校はあった・・・。そう、ここは平成14年3月31日をもって、石山中学、住吉中学と共に55年の短い歴史に終止符を打ち、閉校となってしまった。
現在、校舎は小樽市教育委員会庁舎として利用されている。私が卒業した緑小学校も校区の一角を占めていたので、ここに通った先輩、同級生、後輩も多くいた。
私たちはここを東中(とんちゅう)と呼んでいた。そう「とうちゅう」ではなく「とんちゅう」と呼んでいたのだ。
私が「とんちゅう」と呼んでいた時代の校舎は、旧校舎で通りや公園裏の道路から体育館らしきものも見えなく、校舎も正面から見て右側半分しかないようないびつな形をしていた。当時市内の中学校は、1学年4-5学級が普通だったが、ここは3学級しかなかったはずだ。
聞くところによると、昭和30年代の火事で体育館、教室の半分を失い、近隣の松ヶ枝中、菁園中に生徒が移り、そのままの状態が続いていたという。どういう理由かわからないが、原状復旧させてもらわれなかったようだ。
友だちに体育館はどうしていると聞いたことがあり、小さく狭いのがあり、バスケットの試合は壁に当たったらアウトの広さと言っていた。バスケットコートと同じ位の講堂というか、運動場があったようである。
現在利用されている校舎は、昭和50年代に建てられたように記憶している。新築間もないそんな頃、全国的に中学校が荒れていた時代と重なり、一部在校生による窓ガラス破壊、消火器噴射等、大変問題を抱えていたこともあった。尾崎豊の「卒業」の世界である。
まあ熱病みたいなもので、そのうち数年で静まって行くのだが、当事の教職員にとっては、大変な苦労だったのだろうと思う。そんな生徒たちも現在40代後半、大人として今の若いものはなっとらん・・・、とか言っているのだろうか?
(斎藤仁)