開運町〜踏切にかつての町名の名残りが

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小樽市民には、南樽(なんたる)駅の呼び方でお馴染みの、JR南小樽駅の駅前には、駅名の変遷などが書かれている案内板が立っています。

そこには、ここが初代「小樽駅」だったということも書かれているのですが、今回注目したのが、一番最初の開業時の駅名が、「開運停車場」(明治13年11月)と名付けられていることです。

さて、この開業当初に付けられた、“開運”という駅名は、いったいどこからきたのだろう、と思ったら、開運という名前は、かつてこのあたりに付いていた町名なんですね(なので開運町駅ともいいます)。

開運町という町名が付けられたのは明治5年のことで、その後、昭和43年に若松1丁目に編入されて、開運町は無くなったそうです(参考:「小樽散歩案内」発行:有限会社 ウィルダネス)。

小樽の町がどんどん大きくなっていったその昔、次々に町名が増えていった中で、このように途中で無くなってしまった町名も少なくないんですね。

実はその開運町の名残りが、近くの踏切にあるとのことで見に行ってみると、南小樽駅から小樽築港方面に向かってすぐの踏切に、「開運町踏切」という名前がついてました。

で、もしかしたらと思い、ちょっと足を伸ばして次の踏切まで行ってみると、そこには「新地町踏切」と書かれていて、さらにもう一カ所、今度は戻って南小樽駅から小樽駅方面に向かってすぐの踏切を見てみると、「曙町通り踏切」の表示がありました。

この「新地町」も、そして「曙町」も今はないですが、かつてこの辺りについていた町名なんですよね。

今回、見て回って確認したのはここまでなんですが、小樽にかつてあった古い町名について、踏切に限らず、他にも探せば現在もその名残りがどこかにありそうで、ちょっと興味をひかれます。

今度、機会があったら、そんな昔の町名の名残りを探してみようかなと思ったりもしますし、昔の地図があったら、今の地図と比べてみると、面白そうですね。

【参考】
・「小樽散歩案内」発行:有限会社 ウィルダネス
・「地図で歴史を探る 小樽の町名変遷を見る」高橋 悦郎 著 市立小樽図書館所蔵

写真:小梅太郎の「小樽日記」

(小梅太郎)