住友銀行小樽支店

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 私が高校社会の政治経済で、都市銀行という項目を習った時、たしか13行あったと記憶している。先生はその中に拓銀も入っていると言っていた。私は100万都市札幌に本店に持つのだからと当然と思ったが、一つ下ランク地方銀行トップクラスより経済規模は小さいのに都銀扱いだと教えてくれた。まあ、明治以降の開拓地北海道に気を使っているんだろうとも言っていた。ちなみに現在は、合併・再編を繰り返しメガバンク5行体制であるのはご存じの通り。

 さて、小樽にはこの都市銀行が最盛期10行あったという。歴建として残っている銀行はわかりやすい。北のウォール街交差点には拓銀、三菱、第一の各銀行がありそれぞれ再利用されている。拓銀の隣は日本勧業銀行があったと聞いているが現在は駐車場だ。その隣には三井銀行があったが未だ鉄扉は閉まったまま。

 色内大通りと中央通り交差点には富士銀行(安田銀行)、その並びの東京銀行は三立機電社屋として使われている。その向いか並びに三和銀行があり、協和銀行は日銀通り外園内科の下隣、日本政策金融公庫の場所にあったそうだ。

 中学公民の教科書にも出てくる戦前の三大財閥、三井、三菱、住友の住友銀行はどこにあったのだろうか?という疑問に、元北陸銀行の行員だった生徒さんとご主人が拓銀の行員だった生徒さんの二人が答えてくれた。

「住友銀行は第百十三銀行のあとだわ」
「今の小樽浪漫館かい?藤森さんの看板屋さんや千秋庵だったところだね」
「そう、そこそこ、藤森さんの看板屋さんの前が住友銀行だったはずだよ」

というのである。小樽浪漫館の歴建案内板には第百十三銀行小樽支店の事柄しか記載されていない。住友銀行の「す」の字も出てこないのである。さて、この住友銀行小樽支店、ひょっとしたら小樽出張所だったかもしれないが・・・。この場所は、みんなご存じ堺町通り妙見川のたもとにある。

 ちなみに前述、生徒さんとの雑談だが、この住友情報を教えてくれた方と、同じような年代の方々でも、仕事、家族が銀行に関わっていないと、まったく記憶にないというのがわかった。市民にとっての金融機関は、郵便局、拓銀、信金であり、市内に1行しかない都市銀行に口座を持つ意味がなかったということなのか。

 現在、観光客が集中することにより「堺町出島」と呼ばれる堺町通りだが、当時も今とは別の意味で「堺町・色内出島」だったのだろうと改めて思った次第である。

(斎藤仁)