旧北陸銀行稲穂町支店

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 カネツ栗原恒次郎商店が、その昔北陸銀行稲穂町支店だったことを知ったのは、つい先日のことであった。

 私の教室に、北陸銀行に高校を卒業してから結婚するまで働いていた生徒さんがいる。その方との休憩時間の雑談の中で、

「○○さんは、北陸銀行出身だけど、どこの支店にいたの」
「私は、今の栗原恒次郎商店のところにあった稲穂町支店に最初赴任したんですよ」
「えっ、あの栗原商店も北陸銀行だったんですか?」
「はい、戦前は北陸の前身、第十二銀行稲穂町出張所でした。高校出て、最初は下駄履いて通勤していたんですよ」
「下駄・・・???下駄ですか・・・、下駄とは時代を感じますねえ・・・、そうしましたら大半の女子行員は、まだ下駄だったという事ですか?」

 と冗談めかしに言うと

「その時代(昭和20年代後半)でも、下駄で通勤していたのは、私だけだったです。まあそれだけ家が貧乏だったんですねぇ、若かったからやっぱり恥ずかしかった。今では考えられませんね」

 と切り返してきた。今は友達とダンス、歌、旅行などを楽しんでいる齢八十、妙齢の女性であるが、10歳の時、一家で樺太から小樽に引き揚げてきた後の、苦労の一旦を見るお話しだった。

 さて、稲穂第一大通りと龍宮通りの交差点に建つ栗原恒次郎商店、言われてみると確かにこじんまりとした古い銀行のような佇まいである。色内町に残る数多くの旧銀行建造物に比べ、少々物足りなさはあるが、きっとこんな銀行建築物が全国津々浦々にあっただろうと想像できる。そのほとんどが時代の波に飲み込まれ、解体、もしくは改築され、新たに生まれ変わって行ったのだろう。

 小樽に最初にできた北陸銀行の前身は第十二銀行小樽支店で、拓銀に先んじる事約半年、明治32年(1899年)10月に開設したことは、中央通りにある北陸銀行小樽支店の外側ポスター掲示板に記載されていたので知っていた。また、その小樽支店が色内大通りの旧三菱銀行(運河ターミナル)と名取商店(大正硝子)の間にあったことも知っていたのだが、稲穂町支店の存在までは知らなかった。いろいろな興味深い話しが、先輩方から出てくるものだ。

(斎藤仁)

(記事初出時、一部に不正確な記述がありましたので、修正しています。)