村住外科

murasumi_surgery

 花園十字街から山側に50mほど入った公園通りに、村住外科があった。私が子供の頃は、町内には必ず内科・小児科医院があり、数はそれより少なかったが、外科医院もあったものだった。

 私がこの公園通りにダンススクールを開業したのが、いまから30年前の1985年。その時でも既に院長先生は、ご老体であったが元気に近隣の患者さんを診察していた。

 この村住外科に一度だけお世話になったことがあった。20年位前のある6月頃の午後、涼を取るのにスクールの欄間窓を開けていると、クマン蜂が入ってきてしまった。

 あの蜂のブーンという羽音は、なかなか恐怖を煽るもので、女性の生徒さんは、キャーキャー声を上げるわ、みんな逃げ惑うわ大変困ったものであった。

 私は、その蜂を叩き落としてやろうと、近づき、利き腕を小さく振りかぶり、蜂目がけて掌を振り上げた瞬間、指間にビビビと例えようのない電気が走ったのである。生まれて初めて蜂に刺されたわけである。ちなみに今でも、あの痛みは忘れない。

 周りにいた生徒さんたちは、
「先生、大変だ、蜂に刺されたら解毒剤打たなきゃダメだよ」
「レッスンいいから、すぐ点滴打ちに病院行きな」
「どこでもいいから、近くの病院行かなきゃ」
「そうだ、村住さんが近いよ」
 このような会話をして、すぐに村住外科に向かった。看護師兼任の妙齢の女性受付に、事の詳細を説明し、すぐに診察室に通された。そこは、昭和初期にタイムスリップしたかのような診察室であった。診察机、薬品戸棚、などなど・・・。

 件の院長先生は、傷口を見てすぐに、
「あんたも無茶するねぇ、蜂をなめちゃだめだよ」
とお叱りを受け、木製の診察寝台に寝かされ、点滴を打ってくれた。

 その時は、小樽にもまだこんなレトロな病院があるのだと思っただけだったが、暫くして、閉院したのを風の噂で聞いた。それ以来、玄関の白いカーテンが開くことはなくなってしまった。

(斎藤仁)

#初出時原稿の一部に誤りがあったため、該当部分を修正(削除)しました。(2015年11月5日)