アカシアの花の下で
まだ春も浅いというのに比較的暖かい夜だった。「月あかりのお店めぐり」という小さなイベントで、緑町のレストランからネオンの街へと、おしゃべりしながらほろ酔い気分で歩いていた。いつも車ばかりで緑町など歩くことはないに等しい。まっすぐ進めば寿司屋通りに続く坂の歩道をぶらりぶらり。
「イヤーはじめて行ったけど美味しかったー」
「なんかワクワクして楽しーい」
「花園までってさ、すんごい遠いと思ってたけどみんなで歩けば案外近いね」
などとお喋りしながら。坂は続く。
しばらく歩いていると突然、歩道がぐにゃりと曲がった。暗くてよく見えないが大きな樹がそびえ立ちまるで公園の遊歩道のようだ。みんなは何事もなかったように平然とネオンの街に向かって歩いている。
「え、待って。何ここ?」
「稲穂小学校んとこですよ、伐採されずに残った有名なアカシアの樹です」
「は?アカシア?はじめて歩いたわ、私ここ!」
頭の中がアカシアの花で満開になった。
稲穂小学校=石原裕次郎。アカシアの樹=赤いハンカチ。札幌の駅前通りあたりの並木かと勝手に思い込んでいたが、あの娘がそっと涙を拭いたのはこの小学校の樹の下だったのだろうか。裕次郎さんの心の中ではそうだったかもしれない。
2歳から小学校の2年までたった6年しか暮らさなかった小樽の町を第二のふるさとと呼び、記念館まで残してくれた裕次郎さん。裕次郎さんのおたるくらしは幸せな思い出がいっぱいなのだろうか。
数日後、ひとりでアカシアの樹を見に行った。曲りくねった歩道は「裕次郎の小径」と名付けられ、稲穂小学校90周年の記念誌に寄せられたという文章のプレートが設置されていた。裕次郎さんだけに限らず、この樹はきっとたくさんの人の思い出の中に立っている樹なのだろう。いつか抱きしめに帰ってくると。
それにしても、この街に何十年も暮らしながら知らないことがまだまだありそうだ。いつも同じ道を行き過ぎるばかりの暮らしでは見える景色も色褪せる。ほんの少しの勇気を出して、何かを求めて新しい一歩を踏み出せばいつもの街が違って見える。小樽ならではの思わぬ出会いが待っているかもしれない。
(香)