旧横浜正金銀行小樽支店

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 横浜正金銀行が小樽にあったのをご存じの方は、かなりの小樽歴史通、金融通である。私は、まったくわからなかった。まず、銀行名の読み方であるが、横浜しょうきん銀行という。聞きかじりだが、正金とは現金の事だそうだ。

 正金銀行は、大正11年(1922年)小樽に出張所を開設している。この建物は昭和11年(1936年)築の小樽支店である。この銀行は、戦後外為銀行として設立された東京銀行に継承され、東京銀行となったそう。そしてここは東京銀行小樽支店となった。

 写真の建物は、色内大通り旧安田銀行小樽支店(現花ごころ小樽店)の隣に位置し、昭和22年1947年)設立の、三立機電という日立製作所の特約店になっている。小樽市指定の歴史的建造物にはなっていない。というか、ならないでいる。見るからに銀行であったろう建物前に、その案内看板もないので、市民、観光客は、残念な事にこの建物の歴史を知ることはできないのである。

 逆にこのような歴史的な建物が、日常に溶け込み、市民生活の一部として利用されているというのも、小樽の魅力かもと思ったりしている。

 さて、ここからが、私とこの建物、三立機電との関わりである。小樽の経済人として名を馳せている先々代社長、先代会長、現在も筆頭株主の谷内馨一氏は、大変なスポーツマンで、桜陽高校、中央大学では剣道で心身ともに鍛え、70歳を超えた今でも、草野球チームのピッチャーとしてマウンドに上がっている。

 35年以上前、野球好きの谷内氏は社内にも日立三立という小樽軟式野球連盟所属チームを作っていた。私の所属チームと何度か対戦したことがあったが、点差はそうでもないが、内容はコテンパンにやられていた。こちらは、二十歳前後の野球経験者を多く揃えていたのだが・・・。

 特に当時40歳代の谷内氏が投げた時は、スリークォーターからの直球というか遅球、同じスピードのスライダーというか俗にいうションベンカーブに、猛者たちが引っかけて内野ゴロの山となっていた。

 負けや屈辱の記憶はなかなか脳裏から離れず、色内大通りこの建物の前を通ると、あの日の花園グラウンドの試合を思い出してしまうのである。

(斎藤仁)