旧拓銀小樽支店

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 北のウォール街交差点にあった四つの金融機関の一つ、旧北海道拓殖銀行小樽支店は大正12年(1923年)築、今年で92年を迎える小樽市の歴史的建造物の一つに指定されている。現在はホテルヴィブラントとなって、市民や観光客に往時を偲ばせている。

 拓銀は読んで字の如く、北海道を開拓するために明治政府により設立された国策銀行であった。ゆえに設計は大蔵省営繕課で、拓銀本支店を数多く手がけた矢橋賢吉博士である。

 現北洋銀行小樽中央支店の場所に小樽支店ができても、現在の店舗を第二支店、ここは小樽第一支店としてしばらく営業を続けていたそうだ。

 私がこの建物を記憶しているのは、タイルの落下防止用のネットが、屋上から吊り下げられた、いつ解体されてもおかしくないような状態からだった。

 その後、建物前の緑山の手通りで開催されていた、サマーフェスティバルで一度、建物一階を利用して、露店営業をしたことがあった。お世辞にもきれいとは言えなかったが、古びたカウンターを使い、ロビーにお祭り用のテーブル、イスを持ち込んでの事だった。
 小樽高商(現小樽商大)出身のプロレタリア作家、小林多喜二が大正13年にこの小樽支店に入行しているのは有名な事であるが、そこに入り、多喜二の時代に思いを馳せていた。

 さて、話しは戻り、それらの再活用をきっかけに平成2年(1990年)、高級感あふれる小樽ホテルとして再生し、その後、丸井今井系のペテルスブルグ美術館となり、何度かホテル名が変遷しながら、現在のホテルヴィブラントとなっている。

 私は、小樽ホテルの時代に何度か訪れたことがあったが、サマーフェスティバルの時との違いに、大いに驚かされた。時はバブル、贅を尽くしたつくりに生まれ変わっていた。

 現在はリーズナブルなホテルとして、観光客に大人気だそう。拓銀時代の6本の古典的円柱がカウンターに沿って立ち、当時の面影を残したままそびえ立っている、とガイドブックに書かれているが、多喜二の生きた時代を思いながら、ここを訪れるのも楽しいかも。

(斎藤仁)