梅ヶ枝町の名もなき坂
タクシー運転手になって一番の楽しみはといえば、
「何時、誰が、何処へと連れて行ってくれるかがわからない」
独特のワクワク感があることだろうか。
無線配車によるお呼びや、直にご指名を賜ることももちろんうれしいのだが、
フリーのお客様を流して拾うのは、予定調和のなさがいい意味でスリリングなのだ。
かなり前のことであるが、とある6月の日曜日。
その日は小樽では珍しく、しとしと小雨模様であたかも蝦夷梅雨であるかのような日だった。
わたしのタクシーは赤岩を下り、梅ヶ枝町のセイコーマートに来た所で初老の女性の方がわたしを呼び止めた。
「どちらまで行かれます?」
とわたしが訪ねると、
「近いのですが、北手宮小学校の向かい坂までお願いします。」とのこと。
梅源線の長い坂を上り、北手宮小学校入り口の横断歩道の所を左折する。
「この坂って、とっても久々だなあ。」
だいぶん前に雪の降り始めの時、わたしは4WDタクシーでこの坂を上った記憶があったのだ。
「この先も人家が減りましてね。」
お客様が物寂しそうにわたしに話しかける。
助走をつけて登ろうとしたら、故意に設けられたこぶのせいでバウンドを繰り返す。
「いけずっ!」
そう思いつつ坂を登りきった所を左折したら、そこでお客様は車を止めた。
確かに前に来た時と比べて人家が減っている。
「近所付き合いも寂しくなってね。もう少し下にキレイなおうちがあったでしょ。そこも今は空き家になっているのよ。」
お客様はそういい残し、チップも置いて降りて行かれた。
わたしはすぐに帰る気になれず、しみじみとした気持ちで奥の空き地にたたずみ写真を撮って来た。
至近距離でウグイスが鳴き、カメラを持って近づいても逃げない。
独特の空気感があり、なおかつ、悠久ともいえるような時の流れを感じたものだ。
そして坂を下る前に、梅源線バス通りを見下ろした写真を撮る。
すると雪だるまのシルエットが見えた。北手宮小学校の中にある、雪まつり資料館の看板だ。
「あそこも来春で閉校してしまうのか………。」
そう思うとまたしみじみしてしまい、しばらく坂の上に佇んでいた。
それからしばらく時は流れ、梅源線の坂の下でご乗車された女性のお客様に雪まつり資料館のお話をすると、
彼女はPTAの役員として、資料館の発足に関わったとのこと。
小学校の閉校は、「地域の疲弊」を暗示しているように思えてならない。
わたしは以前、旧量徳小学校の教員をされていたというお方にご乗車いただいたとき、
「閉校は、最後の在校生の心に傷としこりを残す。」
とおっしゃられていたことを今でも覚えている。
それだけじゃない。地域の皆様とともに築き上げて来た営みが、丸ごと無にされたような感じになることが、閉校において最も悲しいことなのだ。
(轟 拓未)