小町湯
「家業は住吉町で、三〼(サンマス)というそば屋と、信香町で小町湯という銭湯をやっています。」
私が確かに記憶している、高校2年組替えで同級となった河本君の自己紹介挨拶の一部である。
そば屋と銭湯を経営しているというインパクトは、40年近く経っても、褪せることはなかった。
「小樽昭和ノスタルジー」の168-169ページに、前述河本君のお母さんらしき河本道子さんが紹介されている。目元が河本君そっくりなので、おそらく間違いなくお母さんだ、・・・と思う!?
この小町湯には、倅との銭湯行脚で、一度入浴したことがある。
まず、洗い場に入り驚かされたのは、18L青色ポリタンクがいくつも置かれていたことである。北海道で、青色ポリと言えば、灯油である。まさか、まさか・・・?
「ポリは温泉だから、湯船に入れていいからね」
「お母さん、勝手にくべていいのかい」
「いいよ、いいよ、くべな。そこに効能貼ってあるしょ。ここの温泉、温まるからね」
小町湯は、この場所からの温泉と、そば屋があった住吉町から湧出した温泉を混ぜ合わせている。
そのサン〼そば屋は、明治時代のまま使い続け、大変希少価値のある建物ということで、昭和61年に解体され、札幌市厚別区「北海道開拓の村」に移設し、常設展示されている。
その建物跡を昭和62年にボーリングして、新たな温泉湧出に至っているのである。
この温泉は、新日本海フェリーターミナルにあった展望風呂にも運ばれていた。
さて、話しは小町湯に戻るとして、玄関引き戸を開けると、写真の昔懐かしい番台と木札の靴箱。若い世代にとっては、居酒屋の靴箱が、これを真似たものだと感じる瞬間である。
この界隈は、小樽で最初に開かれた土地である。近所に遊郭もあり、そば屋、銭湯ともに大繁盛したという。
現在は、小樽の中心繁華街も花園・稲穂地区に移り、人影もまばらな信香町であるが、北海道最古の銭湯と言われる「小町湯」は今日も元気に近隣の人たちの、憩いの場となっている。
(斎藤 仁)
写真:小樽昭和ノスタルジー(ぶらんとマガジン社刊、168ページ左下)