三川屋と馬そり

mikawaya

 花園3丁目の料理屋「三川屋」に初めて行ったのは、今から35年ほど前、高校の同期会だった。札幌に三川屋会館という、テレビCMも流している大きな料理屋があり、そこの小樽支店かとずっと思っていた。聞くところによると、実際に関係があるようである。三河屋現社長の道井氏の親の代に暖簾分けされ、道井氏のいとこが札幌の三川屋会館を経営しているとのことである。
 私のマンション、町内会がここの近所ということもあり、新年総会、役員会等でよく使っている料理屋さんだ。写真は昭和30年頃、60年近く前であるのだが、店前は今もほとんど変わらない。

 よく会議場として使われる2階宴会場も、この写真の頃のままのようである。特筆すべきはトイレだ!!! 色内大通りの小樽商工会議所のトイレもかなりのレトロだったが、商工会議所が閉鎖された今、小樽市役所本館とここ三川屋2階トイレが、小樽で昭和レトロを感じさせる双璧と思う。誤解の無いように付け加えておくが、このトイレ、水洗で、清掃もきちんとしている。

 私の所属する町内会の新年総会はシャンシャンの手拍子で15分から30分で終了することが多いが、マンション管理組合の新年総会の方は、管理委託会社の会計報告だけでもかなりの時間がかかり、場合によっては宴会込みで4時間を超えることもしばしばあった。そんな時でも、三川屋はいやな顔ひとつしないお店である。

 さて、写真にある馬そりであるが、私が以前住んでいた美唄では、昭和30年代、毎日のように見ていた。しかし、小樽に来た昭和41年以降、ほとんど見たことがなかった。時代はトラック輸送が主流となっていたのだが、馬車をみなかっただけでも、小樽は都会だと思った。

 小樽で、馬そりに再びお目にかかることがあった。昭和46年に入学した天狗山の麓、松ヶ枝中学校では、冬期間、校舎までトラックが上がらず、馬そりで給食牛乳を運んでいたのだ。今でこそ、市内を走る自動車のほとんどが四輪駆動だが、トラックの4WDなど当時はなく、トラックは後輪にチェーンを巻いて横滑りしながら坂を登るしかなかった。

 かつて小樽では、北前船で運ばれてきた物資を石造倉庫に保管し、さらにその物資を馬車で道内各地に運んでいた。手宮の厩町、入船の馬車屋町はその名残である。ちなみに、馬車屋の多くが現在運輸会社となり、小樽市内に残っている。

 厩町も馬車屋町も、現町名としては残っていなく、町名を言ってもわからない人も多くなった。厩町は手宮にあり、湯の花手宮殿横の坂上あたりを指す。町内会の名前としては今も使われている。馬車屋町は入船小学校の下あたりで、小樽市街から行くと、奥沢の手前にある。馬車屋町に住む知り合いが、タクシーに乗り、馬車屋(町)までと言うと、厩町と勘違いされ、手宮ですねと運転手さんに言われ、憤慨していたことを思い出す。v

 まあ、時代は流れているということか・・・。

(斎藤 仁)

写真:小樽昭和ノスタルジー(ぶらんとマガジン社刊、99ページ右上)