冬の水天宮

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小樽生まれでも小樽育ちでもない、そして、まったく信心深くない私が、市街地の真ん中にある丘の上の水天宮に時々行くようになったのは、ここからの眺めが素晴らしいからだった。

朝日が映って光り輝く港の海、春に満開になる桜並木とその隙間から見える港、冬に見下ろす雪で真っ白になった街、日が昇る前に見える港に停泊する船の光。海に向かって降りて行く急勾配な外人坂も上から見ると迫力満点。ここはどの季節でもいつも違う表情を見せてくれる。だから、夏には汗だくになりながら急な階段を上り、冬には雪に埋もれて坂のようになった階段を手すりにつかまりながらそろそろと登って行く。

神社なのだからお参りするものなのだが、私はいつも気になりながらもお参りはしていなかった。それでもこの場所はいつも私を裏切らず、清々しい景色を見せてくれた。そして行くたびに「よし!今日も頑張るぞ!」と思えるのだった。

今年初めて水天宮の階段を登ったのは、お正月が過ぎ、仕事始めも過ぎたころだった。前日に降った雪が境内にふんわり積もり、冬の優しい朝の光が雪の上に桜の樹の影を作り出していた。

誰もいない境内で雪の上にできた影の模様を見つけたときは、自分一人だけの宝物を見つけたような、とても得した気分になった。

「来て良かった!」と思いながら境内の中を歩き出した時、ふと拝殿の賽銭箱が目に入った。そういえば何年も初詣に行っていない。この場所には今まで散々お世話になっているのに一度もお参りをした事も、お賽銭を入れた事もない。
今日は時間があるし、ちょっとお参りして行こう。財布の中には小銭がほとんどない。まあ、しょうがない、神様ごめんなさい、と心でつぶやきながら賽銭箱にわずかな小銭を投げ入れる。神様にお願いしたい事など山ほどあるが、この時ふと頭に浮かんだのは「子どもたちが幸せになりますように」。
「『世界中の人が幸せになりますように』にすれば良かったかな。いや『いつもありがとうございます』だったか。」とちょっと恥ずかしくなったが、まあ、これもしょうがないと苦笑しつつ、雪に埋もれた急な階段を来た時よりも慎重に降りて行った。

そのご利益だったのか、先日、仕事を探していた子どもたちにそれぞれ仕事が見つかった。今度水天宮に行くときは、少し多めに小銭を持って「子どもたちに仕事が見つかりました」と報告に行く事にしよう。

(まがら りか)