小樽の企業スポーツ

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 日本のスポーツ界を下支えしているのは、高校、大学の学校運動部と福利厚生名目で企業名をPRする大企業、そして種目に特化し支援する地方の中小企業の数々である。

 北海道でも、戦前、戦後と王子、大昭和、十条、山陽等の製紙会社、富士鉄、日鋼、日軽金等の金属系、拓銀、電電公社、国鉄の各地管理局、三井、三菱、住友に代表される炭鉱会社等が野球、ラグビー、アイスホッケー、スキー、バレーボール、サッカーに企業名を背負い、全道、全国でしのぎを削っていた。

 そんな中、小樽にもスポーツに力を入れていた企業があった。たとえば、アジアスキー。アジアスキーはいかにもスキーのメッカ小樽らしい。そして、トーモクこと、東洋木材もアルペンに強かった。それに何と言っても真打ちは、三馬ゴムである。三馬ゴムの社長、吉村伝次郎氏は小樽体育協会の会長職を長らく務められた。同氏は小樽バレーボール協会会長でもあった。

 三馬ゴムは、女子バレーボールと女子スキーに、力を入れていた。女子バレーは昭和30年代から40年代前半まで、全道で敵なしの常勝チームであった。全国大会では、当時世界一の日紡貝塚、日立武蔵、ヤシカの実業団に加え、有力大学チームなどがあり、中々勝ち上がることは大変だったようだ。

 昭和42、3年頃、三馬ゴム女子バレー部と千秋高校(現工業高校)男子バレー部の練習試合を千秋高校体育館で見たことがある。父が部活顧問をしていたので、学校に金魚のフンのように付いていったのだ。結果は高校男子の完敗。

「お父さん、負けてるね」
「三馬は、女子だけどかなわないよ」

当時、小学校の低学年で、バレーボールの細かいルールは分からなかったが、得点表に書かれた結果は、誰にでもわかるものだった。

 一方、三馬のスキー部はクロスカントリーに無類の強さを見せ、女子リレーでは、全日本選手権6回の優勝を遂げている。残念なのは、1972年(昭和47年)札幌オリンピック代表だった大関時子選手以降、小樽からクロカンのオリンピック代表は輩出していない。

 同じく、札幌オリンピックアルペン女子代表で、スラローム13位に入った、全日本アルペンチャンピオン、アジアスキー岡崎恵美子選手は、大変人気があった。今でこそ、アイドルのようなかわいいスポーツ選手が多数いるが、岡崎選手はその走りのような存在だった。

 現役引退後、ドイツに渡り、現在はジャンプ週間で有名な、オーストリアのビショフスホーフェンでご主人のゲルハルトさんと楽しく暮らしているとのこと。

 ご紹介させていただいた企業チームは、厳しい経済状況の中、巻頭の道内有力企業と同様、昭和40年代後半には、廃部、休部に追い込まれた。

 ただ、これからも、小樽の冠を付けたスポーツ選手が全道、全国、さらに世界に名を馳せてほしいと思っているのは、わたしだけではないはずだ。

(斎藤仁)