坂牛邸

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小樽公園の入船側に坂牛邸がある。東京帝国ホテルを設計した近代建築の三大巨匠、フランク・ロイド・ライト。坂牛邸は、そのライトに師事した田上義也氏の設計だ。田上の設計した建物は数多く現存するが、小樽ではこの坂牛邸と、富岡町の旧高田邸、それに、中山美穂主演映画「ラブ・レター」の舞台となった、銭函の坂邸別邸があるだけだ。坂邸別邸が2007年に焼失した今、現存するのはここと旧高田邸のみとなった。

坂牛邸は後に弁護士となる小樽新聞社重役の直太郎氏が、昭和2年(1927年)に建てたものだ。直太郎氏の孫にあたる弘志君(東京在住)は私の小学校時代の同級生であった。通学路途中に邸宅があったので、私は勝手口から毎朝弘志君を迎えに行っていた。勝手口といっても私の住む公宅玄関の倍以上の広さを有するものだった。

昭和40年代前半でも、お手伝いさんが住み込まれていて、私の周りでは考えられなかった、テレビドラマの世界がここにはあると思った。ただ、残念なことに、当時は大きいが古い木の家という感想しか持ち合わせていなかった。

高度成長期、古い建物は次々に取り壊され、街はコンクリートの無機質な建物に生まれ変わり、また、人々もそれを望んでいた時代だった。現在、小樽市の歴史的建造物になり、多くの方々に見学いただき、田上記念室も併せて設置されていることは、リアルタイムで邸宅を知っている者として、感慨深いものがある。

直太郎氏とも何度か顔合わせの機会はあったが、子供が声をかけられる気楽な雰囲気はお持ちではなかった。どだい孫の弘志君ですら、おじいさんに自宅内で会うと直立不動になるわけだから、他人の私なぞ、推して知るべし。背筋が伸び、身なりのきちっとした、いかにも紳士然とした方であった記憶がある。ただ、弘志君の両親、それにいつも着物を着こなされていたおばあさんには気軽に声をかけていただいた。

先日、家内と現在NPO法人小樽ワークスが管理している坂牛邸をほぼ40年ぶり位に訪れた。昔、絶対に子供が入れなかった正面玄関から、入ったことのない直太郎氏の執務室や生活スペースを40年のときを越えてじっくり拝見させていただいた。懐かしさと達成感がこみ上げてきた。

(斎藤仁)