オタモイ海岸

otamoikaigan00

オタモイ海岸。ここは戦前、割烹料亭「蛇の目」の大将、加藤秋太郎氏が大遊園地の造成を夢見た、男のロマンの香りあふれる場所。
わたしがその話を知ったのは、おたる案内人1級を目指す講座の席であったが、実際には、もっと早くこの海岸に降り立っていたのだった。

今から31年前の初夏。わたしは当時、長橋小学校の4年生であった。
小学校の遠足の行き先が、オタモイ海岸だったのだ。
先生から行き先を事前に知らされたとき、未知の地への遠足を今か今かと待ちこがれていたのを今でも覚えている。

そして遠足の当日。わくわくは最高潮に達し、長橋小学校からオタモイへの長い道のりが始まった。
とは言っても、オタモイ交番を経て幸町を回るサイクリングは既に決行していたので、オタモイ交番から団地を経て唐門に至る道こそが、未知の地へのいざないだったのだ。
唐門から先は、断崖を縫うように蛇のようなカーブを降りて行くと、鼻息と入れ替わりに潮風の香りが入ってくる。
「着いた!」石はゴロゴロ、岩もゴツゴツ。なかなか歩きにくいところではあったが、磯遊び好きな友達はさっさと海辺へと駈けて行く。
その日は晴れていたような、曇っていたような、思い出せないが、波はわりあい穏やかだったのを覚えている。
なんでかって?わたしはその日、水辺の跳ね石投げに興じていたのだから。最高記録は、七回跳びぐらいだったろうか?
磯や海は好きだけど、生き物に触るのはなぜか苦手だったのだ。
むしろ木や石、砂など生き物以外のもので遊んでいたものだった。その傾向は、大人になった今も変わっておらず、子どもと遊ぶときも、生き物にさわれないことがネックになることもしばしば。

それから長い年月が経ち、オタモイ海岸はがけ崩れのため立ち入り禁止になっていると聞き、果たしてどうなっているかと思い、とある秋晴れの日に訪れてみた。
舗装されたつづら折りの道路を降りると、広大な更地になっており、人が入れるのもそこまでであった。
写真を撮ってみると、向こうの崖に竜宮城の門とおぼしき飾りのあしらわれたトンネルが見える。
あそこを越えて、オタモイ地蔵まで行ってみたい!と思ったが、遊歩道の崩落状況を写真で見せつけられて断念した。
何しろシャレにならないほどの惨状で、北海道の日本海側の至る所で同様の問題が、近年になって頻発していることを暗示しているようにさえ感じたほどだ。

それにしても、昭和27年に竜宮閣が焼失したのは、返す返すも惜しい。
歴史にもしもは無いが、もしも竜宮閣が現存していたならば、今のオタモイ海岸はどうなっていただろうか?
たぶんわたしが思うに、レトロブームの波に乗って、大勢のお客様でごった返していただろうか?
はたまた、がけ崩れの対策に追われていただろうか?
想像すればきりがないが、守る者のいなくなった、オタモイ地蔵堂の今後が最も気がかりだ。
雪で倒壊することなく、今年も冬を乗り切れますように。
遊歩道が何とか復活し、参拝者が再び訪れることができますように。

(現在、オタモイ海岸に直接行くことはできませんが、遊覧船に乗って、海から眺めることができます。)

(轟 拓未)