甘えび

ichiba10

1982年から4年間、
小樽でひとり暮らしの学生生活を送った。

大学2年の時から卒業する5年生までの間である。
えっ、何か問題でも?

最初に住んだのは、国道5号線沿いの北一硝子花園店の裏にある
オンボロアパートの3畳間だった。

共同玄関、共同流し、共同便所。
風呂などあるわけがなく、
見事に畳が3枚敷かれているだけの部屋だった。

部屋に置かれたのは、
ステレオと机と必要最小限の生活用品のみ。

テレビもない、電話もない。
新聞なんか、とるわけがない。

親との連絡は、こっちからかける公衆電話のみ。
学校に行かなければ、何の情報も得られない。

今のご時勢からすれば、考えられないことかもしれない。

それでも、親元から離れての初めてのひとり暮らし。
不便であっても、僕は楽しくて仕方がなかった。

いや、あの頃は「不便」だなんて思ってなかった。

お金がないから、自炊をすることにした。
だけど料理なんか、したことがない。

母親の台所での仕草の記憶を頼りに、ご飯を炊いてみた。

炊飯器なんか、あるわけがない。
小さな鍋で炊いた。

そのご飯は、硬くて食べれたものでなかった。

そして、公衆電話から母親に電話をかけ、
炊き方を教えてもらった。

その時、初めて「さみしい」って思った。

オンボロアパートを出て国道5号線を渡れば、
すぐそこに「妙見市場」があった。

スーパーとは違い、
対面のおばちゃんたちがいろいろ話しかけてくれる。
ひとり暮らし初心者にとって、大層ありがたいとこで、
僕はしょっちゅう通った。

魚屋に行くと、甘えびが、経木
(食べ物を包むのに使った、木を紙のように薄く削ったもの)
の上にてんこ盛りに盛られ、200円で売っていた。

買った。
喰った。
旨かった。

だけど、量が多すぎて喰いきれず、余してしまった。

喰い盛りの若者が持て余すほどの量の甘えびが200円。
それがめちゃくちゃ安いってことを知ったのは、
大人になってからだった。

その頃、3棟あった妙見市場も、昨年2棟が解体され、
今や1棟を残すのみという。

(みょうてん)