お母さんと行く市場
お母さんと行く市場。
三角市場の魚売り場の臭いが苦手だったけど、中央卸市場で買ってくれる「きびだんご」が美味しくていつも、くっついて行ってた。
小学校低学年まで、祖母のことを「お母さん」と呼んでいた。
母親のことはママと。何故か祖父のことはおじいちゃん。ここで言うお母さんとは祖母のことです。
おじいちゃんとお母さんは富岡町で八百屋を営んでおり、私はこの八百屋の2階に住んでいた。その後、ななめ向かいの「富の湯」という銭湯の2階へ引っ越し、さらに八百屋の裏の借家へ引っ越すことになる。
私は、お母さんについて中央卸市場へ仕入れに行くのが好きで、仕入れた商品を自分の持てる分だけお風呂敷に包んでもらい背負って歩きまわっていた。
仕入れの途中、お肉屋さんでタレのたっぷりついた串焼きのレバーを買ってもらい食べながら歩く。食品問屋で「きびだんご」を買ってもらいポケットにねじこむ。
卸市場で仕入れした後は、三角市場で買い物。当時の三角市場の中には、ぐるっと回って奥に入る通路が有り、ここは新鮮な魚介類が沢山並ぶ魚屋さんが多く有ったように思う。
ここの魚の臭いが苦手でお母さんが買い物している間、鼻と口に手をあて息を止めていた。息が苦しくなると外に走って行き、また深呼吸して息を止めてお母さんのところへ戻る。
お母さんがタチ(タラの精巣、白子とも言う)を買うのを見て、「そんな脳みそみたいの買うのやめなよ!美味しくないし!」と言ったことを思い出した。なんとも失礼な子どもだ。
仕入れと買い物が終わると、さっき買ってもらった「きびだんご」をポケットからとり出し、食べながら船見坂をテクテクと登って富岡町へ帰る。
船見坂を登る途中の船見橋を通る時、タイミングが良いと橋の下を通るSL(蒸気機関車)の真っ黒な煙の中をくぐる事ができる。SLが来るとわっと声をあげて、走って煙の中に飛び込んで行った。
お母さんにとっての日常は、私にとって毎日ワクワクする冒険のような一日だった。
写真:左にある床屋の奥がおじいちゃんの八百屋(吉田青果店)。右奥の「千歳鶴」と「ニッカウヰスキー」の看板のある酒屋さんではモッキリをしていた。その手前が富の湯です。
(中山仁史)