新日本海フェリー

 小樽港勝納ふ頭に、新日本海フェリーターミナルがある。この立派なターミナルは、平成6年(1994年)4月から運用を開始している。ターミナル内は、港内を眺望できるレストランやお土産店がある。さらに、当初は市内信香町の三マス温泉水を利用した温浴施設が階上にあり、フェリー利用客のみならず、市民からも大変人気のスポットとなっていた。私も倅を連れて何度も訪れていた。残念ながら、そこは閉鎖されて久しい・・・。

 新日本海フェリーであるが、北海道と関西を結ぶバイパス航路として当時第4ふ頭と言われていた中央ふ頭から、昭和45年(1970年)小樽-舞鶴-敦賀航路として運行されている。時の小樽商工会議所木村円吉会頭の肝いりで、斜陽小樽の活性化の一助にと日本海側初、当時世界最大級の大型フェリー航路として開設された。

 ちょうど緑小学校の6年生だった私は、初就航の「すずらん丸」の勇姿をよく覚えている。また、前述木村円吉会頭が、緑小学校の卒業生で元PTA会長、そしてこの年緑小学校創立50周年という記念の年だったこともあり、担任の先生は木村会頭を中心とした小樽経済界のフェリー誘致のお話しをされていた。

 その後、新日本海フェリーは首都圏を結ぶ新潟港、東北を結ぶ秋田港との航路も開設し、中京圏の敦賀を合わせ関西までの主要な港とつながりを持つことになった。

 私たち家族もGWに2度ほど、キャンピングカーで新潟まで乗船したことがある。私自身船に乗るという機会は、高校修学旅行の青函連絡船以来で、さらに船内で就寝するのが初めてだったので、とてもわくわくして乗船した。

 一度目は二段ベッドが数台並ぶ比較的廉価な寝台席。二回目はさすがにプライベートが欲しかったので和室個室を予約し乗船した。車一台の料金に、運転手寝台の料金が含まれているので、その和室は家内と幼児だった倅で予約。当然布団は二組しか用意されていなかったのだが、その中に私が潜り込んだ形となったわけだ。

 現在の新日本海フェリーは、平成11年(1999年)から敦賀、秋田行きは苫小牧東港から津軽海峡を北上して日本海に出るコースを主要航路としている。

 積丹半島が北西卓越風を遮り、天然の良港と明治以前より言われていた小樽港だが、この積丹半島を回ることによる燃料ロスが、苫小牧から津軽海峡を北上する航路に変更となった大きな一因だったとは皮肉な事だった。

(斎藤仁)


※本記事の内容は2020年6月時点の情報に基づいたものです。