国際インテリアアカデミー跡
メルヘン交差点の堺町郵便局から相生町方向に100mほど行くと、枯れ蔦の絡まる国際インテリアアカデミー跡がある。日本で初めてインテリアデザイナーを提唱したと言われる町田ひろ子女史が校長を務めていた専門学校である。
昭和60年(1985年)、鳴り物入りで開校した「町田ひろ子国際インテリアアカデミー」は、いつのまにか閉校されて幾年月・・・という感じになってしまった。ちなみに系列の町田学園は全国に6校展開中である。
この学園を作る際、町田女史の小樽での自宅を私と同じ、ここの近所のマンション5LDK最上階を購入された。そして建設前の契約であったので、居住空間のインテリアを学生に設計させていると、担当営業マンが教えてくれた。現在は他者に渡っているその部屋であるのだが、私も一度見学したことがある。他の部屋とはまったく違う作りになっていた。
その営業マンは、町田女史からさらに新築時の外壁デザインも担当させてほしいとの要望があったのだが、シリーズで建設してきたマンションのイメージもあるからと、丁重にお断りさせていただいたとも言っていた。
ちなみに、解体されてしまったが前の掖済会病院外壁デザインが、町田女史のデザインである。下から上に向かい、段々薄い色に変化していく外壁を覚えている人もいるのでは。温度計を模しているとの事だ。
さて、校舎について話を戻すと、町田女史の住むマンションの、一回目大規模修繕工事住民説明会の時に、管理組合はこの校舎の教室をお借りしている。また、毎年秋に行われていた学園祭にも何度が散歩がてら見学に来たことがあった。さすがにインテリアの学校だけあって、もともとの建物の風合いを残し、現代的にアレンジしているオシャレな校内だった記憶がある。
この建物は、もともと昭和9年(1934年)築の旧寿原産業鳳星寮と言う社員寮であった。戦時中は陸軍が、戦後は進駐軍に接収され、後に会社の寮や倉庫として活用されていたという。坂の街小樽特有の法面に鉄筋造りの地下を造成し、木造2階建が乗っている洒落た洋風建築である。
さてさて、これからのこの建物である。若い起業家に向けていろいろな展開を考えていただきたいと願っている。場所柄、観光客向けのゲストハウス、はたまた市民も観光客も一緒に楽しめる飲食系の複合施設、硝子等の体験施設もいいかもしれないなどと思っている。
(斎藤仁)