龍宮神社
小樽三大神社というのだから、きっと荘厳なたたずまいをしているのだろう。
龍宮神社の名前を、小樽に引っ越してきて最初に耳にしたときそう思った。
大学に入学して半年以上、それがどこにあるのかわからなかった。実は通学路から神社の境内への階段が見えるのだが、その目立たない装いから見逃していた。
その後、小樽出身の友人からその在り処を教えてもらうのだが、神社というものへのとっつきづらさから、なかなか訪れるには至らなかった。
大学入学後初めての正月、初詣で初めて龍宮神社を訪れた。そのたたずまいは想像よりだいぶん地味で、拍子抜けしたのを覚えている。広い境内に神社と狛犬があるだけの、ごく普通の神社といった印象だった。
境内では地元の人が幾人かでボランティアで甘酒を配っていた。その日は冷えていたので、温かい甘酒は本当にありがたかった。
それから時々龍宮神社に足を運ぶようになった。平日に行けば、境内に隣接する幼稚園から子供たちの元気な笑い声が聞こえた。秋冬に行けば、地元の人たちが落ち葉や拾いや雪かきを手伝っていた。神社の祭の日に行けば、地元の老若男女がのど自慢をしたり出店に並んだりと、祭りを楽しんで盛り上げていた。
龍宮神社に通うたびに、そこには地元の人の姿があった。通うたびに、龍宮神社は地元の人に愛される、地元の人のための神社なのだと気付いた。
この記事の写真を撮るために改めて龍宮神社に足を運ぶと、神社に対して安心感のようなものを感じた。そして同時に龍宮神社に愛着も持つようになっていた。三年間住んだことで、少しは地元感が湧いてきたのだろうか。
龍宮神社のあり方こそが、本来の神社のあるべき姿なのかもしれない。地元の人の憩いの場であり、観光客のために無駄な装飾などはしない。
一見平凡な神社だが、神社を通して地元の人たちの姿を映し出す。それが龍宮神社の魅力なのだ。
(商大むぎちゃ)