消防犬ぶん公

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 運河プラザ前にある消防犬ぶん公は、昭和初期、小樽市消防本部で飼われていた、雑種のオス犬であった。消防車と一緒に出動し、時に野次馬整理やホースのもつれ直しに手を貸したというか、足を貸したというか・・・と言われている。どちらにしても、市民や消防士に健気な忠犬だったことは間違いない。

 ただ、寄る年波には勝てず、昭和13年(1938年)2月3日に24年間という天寿を全うした。当時、渋谷の忠犬ハチ公のように、ぶん公の活躍は、ラジオや雑誌で全国に伝えられ、絵本の題材にもなったという。

 さて、この運河プラザ前にある記念碑は、平成18年(2006年)7月21日に建立除幕式が行われた。多くの行政、消防関係、市民の方々が参加して挙行された式典に、碑文寄贈者ご芳名の一番に記載されている東原俊郎さんも出席された。

 ご存じの方もおられると思うが、北海道各地に展開するパチンコ太陽グループの総帥で、各種ボランティア活動、北海道を元気にするための助成活動にも熱心な実業家である。

 実は、この建立日7月21日の翌日と翌々日にあたる7月22日、23日の両日、小樽運河の浅草橋街園で、「2006おたる☆浅草橋オールディーズナイトvol.3」が開催された。そしてこの式典に出席するため小樽に来るという事で、浅草橋ライブに出演してくれたことがあったのだ。

 この東原さん、野口五郎のバックバンドでラッパを吹いていた事があった。また、実弟のジミー東原さんは、日本有数のギタリストということで、この前年から「太陽グループ楽団」というブラスロックビッグバンドを兄弟で発足させていた。

 そのメンバーといったら、北島三郎のバンマス田中彰氏をはじめ、日本有数のプレイヤーを集めていた。そして、この年の浅草橋ライブから、前述のバンド名から、現在も続く「ジミー東原オールスターズ」というバンド名を使い始めた。

 当時、東原さんにバンドの事を伺うと、「小樽で美味い寿司食わせるから、飛んできてよ・・・。こんな感じで毎回メンバー集めてるんだよ」とのこと・・・。

 浅草橋イベント歴代最高のバンド演奏は、観客がまばらだった開会まもない昼過ぎに行われ、観客の度肝を抜き、そして魅了し、そそくさと次のライブ会場であった札幌市役所駐車場(サッポロ・シティ・ジャズの前身サッポロ・ジャズ・フォレストの一会場)に移動して行った。

 私は、運河プラザでぶん公を見ると、あの時の「ジミー東原オールスターズ」の最高の演奏を思い出してしまうのだ。

(斎藤仁)