寿司屋通り鉄橋跡
小樽の繁華街である花園と稲穂を縦(山⇔海)に二分するのが通称「寿司屋通り」。更にこの通りを横に二分するのが旧手宮線である。川や鉄路によって町名が変わるのはよく知られているが、ここもそのルール通り、写真の左側(山側)が稲穂、右側(海側)が色内という町名になっている。
ここには鉄橋がかかっていた。この鉄橋は昭和60年(1985年)に手宮線が廃止されても、しばらくそのまま架けられていた。鉄道鉄橋特有のあの赤錆色の橋である。
この鉄橋は、下を通るドライバーにとってなかなか難儀な物であった。荷物を高く積んだトラックにとっては鬼門そのものであった。
南小樽駅と小樽築港駅の間にある、新富町の2つの小さな鉄橋(制限高1.7mと1.8m)ならトラックが通ることはないのだが、ここの鉄橋は高くもないが低くもないという中途半端な高さ制限であったのだ。
私の記憶では制限高が2.2mだったような・・・、もう少し高かったか・・・。
私も一度、空ビンをうず高く積んだ2トン車が、鉄橋と激突しているのを目撃したことがある。その激突音といったらすさまじく、今でも耳に残っている。そんな事が年に何度も起き、さらにこの高さだと観光バスが通過できないということで、小樽市がJR北海道に要望し、鉄橋を外してもらい現在に至っている。
ちなみにその鉄橋は南小樽駅の跨線橋下に保管されていると、鉄道好きで有名な豊川町の遠藤酒店さんが教えてくれた。
現在は写真のところまで、旧手宮線緑地として整備され、市民、観光客を楽しませてくれている。鉄橋があるとそれを渡るという新たな楽しみもあったかもしれなかったが、現在の交通事情を考えるとこの高さのままだと少々厳しいかなと思う。
ただ、鉄橋で隠れいつもじめじめしているレンガ造りの橋脚が、ここでは白昼の下で見られるという特典が意外とうれしく思っている。
(斎藤仁)