茨木家中出張番屋
2010年6月、小樽市、商工会議所などで作る北後志風土ツーリズム協議会が中心となり、国の助成金を得て、長らく放置されていた茨木家中出張番屋が修復された。
早速、その年に家内と訪れ、それ以来毎年何がしかで訪れている。この番屋の説明を少々させていただくと、まず読み方であるが「なかでばり番屋」と読むそうだ。祝津道路の少し出っ張ったところに建てられたからこの名前が付いたと、最初に訪れた時、渡部満祝津たなげ会事務局長が、懇切丁寧に教えてくれた。
祝津三大網元の一つ茨木家によって明治45年(1912年)に建てられた、いわゆるニシン番屋であるこの建物は、祝津岬の鰊御殿、野幌にある北海道開拓の村に移築された旧青山家本宅との大きな違いがある。
前者二つの番屋は、親方家族とヤン衆と呼ばれる漁夫が寝起きするスペースが、玄関にある土間で仕切られだけで同じ建物内で生活していたが、この中出張番屋は、ヤン衆のみの建物だったと、前述渡部さんが説明してくれた。
祝津にはその他、明治20年代に建設された鰊番屋もそのまま放置されたままあるそうで、早い段階に修復して、観光、地域活動に利用できるようにしたいと言っていた。
さて、今年3月一杯で終了したNHK朝の連ドラ「マッサン」に鰊御殿のセットが出てきた。国指定史跡旧余市福原漁場がモデルであったそうだが、はしご段を上がったネダイや通路の土間にイスを置き、床を食台にして食事している様は、ここ中出張番屋とまったく同じであった。さらに、その床下には食器を収納するスペースもあったというから、合理的に作られていたようだ。
この番屋は小中学校の体験型宿泊研修旅行に使われているそうだ。鰊漁最盛期の漁夫の生活体験と学習ができるという事のようだ。
運河沿いの石造倉庫、色内界隈の銀行建築、山の手の大邸宅、そして祝津の番屋建築と改めて小樽には、歴史建物紀行を楽しめる要素が目白押しだと実感した。
(斎藤仁)